【前編】『永平広録』に込められた道元の願い|木村清孝さん

鎌倉時代の禅僧・道元(1200-1253)の語録『永平広録』。道元が弟子たちに対して行なった説法の数々や偈頌(漢詩)などをまとめた全10巻の語録のうち、定期の説法「上堂語」と臨時の法話「小参」を訳した『『永平広録』「上堂語」「小参」全注訳』がこのほど、佼成出版社より出版された。上巻・下巻の完結を記念し、曹洞宗龍宝寺の東堂(前住職)で、長年にわたり華厳思想を研究されてきた著者の木村清孝氏にお話を聞いた。前編では仏教学者としての木村氏の歩みを、後編では『永平広録』に込められた道元の願いについて紹介する。

 

——はじめに、道元禅師との出会いについて教えてください。 

曹洞宗の寺の長男に生まれましたので、生まれた瞬間から道元禅師との出会いが始まっていたと思います。のちに僧侶としての師となる父の願いもあり、を継ぐつもりで子ども時代を過ごしてきました。父は、医者から「30歳までは生きられないよ」と言われるような病気がちな人でしたから、長男である私を早く一人前の僧侶にしたかったのでしょう。檀家回りに連れられ、厳しく指導されながら、幼いなりに道元禅師の言葉と思想の一端に触れていました。 

高校を卒業したらを継ぐつもりでしたが、当時、哲学的なものの考え方に興味をもったことと、人間禅の師家で東京教育大学(現・筑波大学)の教授をされていた芳賀洞然先生(1908-1996)とのご縁から、同大学の文学部哲学科を受験することになりました。その頃には父の身体の調子も良くなっていたためか、「回だけ」の受験の許しをもらえて、運良く合格することができたんです。 

そこから、道元禅師に本格的に向き合うようになりました。 

——学究の徒として、道元禅師の思想をより深めたいという思いがあったのでしょうか。 

そうですね。東京教育大学には東洋・西洋の哲学を専門にされる優れた先生方がいらっしゃったので、哲学と倫理学についての手ほどきは受けることができました。 

ですが、いずれは卒業して仏門に入る身です。卒業するまでに、学んできた倫理学の観点から、宗門の開祖である道元禅師の思想を捉える知見を得ておきたい。そんな思いが芽生えていました。 

そこで、『道元における出家と在家』という題で卒業論文に取り組み、出家と在家のはざまにいた私自身が抱える問題の答えを宗祖に託すことにしたんですね。 

論文の資料はほとんどが『正法眼蔵』でしたが、初期の『正法眼蔵』の中では、在家も出家も、それぞれの立場で広く仏法を広めていくことができると説かれている感があります。それが、後年になると「出家者でなければ、本当の仏の世界を生きることはできない」という強い出家主義的な考えに傾倒していかれるのです。それはなぜなのか――それが、当時の私にとって、どうしても明らかにしておきたいテーマだったわけです。 

道元禅師が生きられた社会は、仏教界にとっても厳しい状況下でした。田舎の片隅においやられた道元禅師ご自身は、広く布教してくことに限界を感じられたのではないかと思います。すべての者が悟りを得られるのが仏教の理想ですが、自らが置かれた境遇ではそれを実現することが難しい。そう判断された道元禅師は、「いまは一人でも二人でも、本物の出家者を育てるとき」だと考え、出家主義に傾かれたのだろうと受け止めました。 

——その後、お寺を継がずに東京大学大学院(印度哲学専門課程)に入学されていますね。 

これも不思議な縁だったのですが、卒業論文が仕上がった時期に、友人から東京大学の大学院にインド哲学専門課程が設置されていることを聞きました。「一緒に受験しないか」と誘われたんです。論文執筆を通じて、道元禅師の思想と哲学的・宗教的な関心を深めていたこともあり、もう少し掘り下げてみたいと思って父に許しを乞うてみたのです。引き続き私が学業を修めることを父が許してくれましたので、急場しのぎで受験に臨むことになりました。 

インド思想のことなど専門外でまったく分かりません。そこで、中村元さん(1912-1999)の『インド思想史』(岩波全書)を読み込んで暗記し、試験を受けたのですが、これまた運良く合格することができました。運がよかった分、入学してからは苦労が多かったですね(笑)。 

幸いにも、当時は学生運動が盛んで、交流のある学生と議論をする場がありましたから、仲間に教えてもらいながら、専門分野を少しずつ深めていったという具合です。 

このほかにも、当時、上の学年に在籍していた仏教思想家のひろさちやさん(1936-2022)や、のちに霊友会の会長もされた久保継成さん(1936-2019有志でつくる『宗教と社会』という雑誌の編集長も任されました。インド哲学に関する深い知識はまだありませんでしたから、『ナチズムと宗教』や、関心があった大本教のことなど、あえてインド哲学とは関係ないテーマで執筆に取り組み、学識を広げていきました。 

——人との出会いと、“運の良さを兼ね備えた実力”で研究生活を歩んでこられたのですね。ご専門の華厳思想を学び始めたきっかけはあったのでしょうか? 

まさに、縁に随って歩んできたと言えますね。華厳思想を研究するようになったのも、大学とは関係なく参加していた坐禅会で玉城康四郎先生(1915-1999)に出会ったことがきっかけでした。「学問と実践は切り離されるものではなく、相互に関わり合うことが大事だ」とおっしゃるお考えに深く共感したのですが、玉城先生に「君は、華厳思想を研究するのがいいだろう」と言っていただき、その一言で専攻を決めました。 

私も禅を最初から研究対象にするには自信がなかったんです。ですが、実は華厳思想は禅定体験に裏付けられて成立してきた背景がありますから、玉城先生は私の性格や行く先を見抜かれて、ご助言くださったのではないかと思います。 

——華厳思想を研究されている間、道元禅師にはどのように関心を寄せられていたのですか。 

厳しい父の存在もあって、休みの日にお寺の手伝いはしていました。後継ぎであり、進学の許しももらっていた手前、お寺をほったらかしにはできませんでしたからね。 

同じ宗派の人たちの集まりはそう多くはなかったのですが、勉強会で『正法眼蔵随聞記』を読むなど、随所で道元禅師の言葉にも触れていました。 

私の研究遍歴も、そして得ていく知識も、それぞれ独立していて相互の関連がないようにも見えるかもしれません。ですが、一見すると無関係に思える物事の中に関連性を見いだす営みが、思索を深めていくことになるんです。人生の選択を縁に随って決めてきた私自身が、身をもってその大切さを学べたわけですから、やっぱり運がよかったということでしょうかね。 

——関連性を見いだす営みは、信仰においても通じるものなのでしょうか? 

もちろんです。宗教・宗派によって個々に大事にするものはあっていいですし、むしろあって然るべきだと思います。ですが、それを絶対的なものだとして内向きに捉えるのはもったいないことです。いたずらに他の宗教・宗派を恐れる必要はありませんし、開かれた場で互いに伝え合うことで、それぞれの良さが見いだされていく側面もあります。どちらが正しくて、どちらが間違っているかという二元論ではなく、矛盾せずに共存できるものが真の宗教なんです。 

大学で他宗派の方々と交流してきましたが、皆さん魅力的で、それぞれが大きな人間性を備えた方たちばかりでした。かなり個性的ではありましたけどね(笑)。 

信仰といっても、突き詰めれば「人間が、一人の人間として生きること」に凝縮されるわけです。深いところでつながる共通性がありながら、かつ個性的な思想・信仰に違いが現れるのは当然のことだと言えるでしょう。 

——『華厳経』にも、さまざまな師を訪ねて修行に歩く善財童子のエピソードがあります。 

経典の中の話ですから、あくまで教学的な捉え方ではありますが、いろいろな人との出会いが人を育てていくということの象徴でしょう。善財童子は、全く異なる先生を訪ねていく過程で、自分の中にある殻が破られていき、修行の境涯・境地が段階的に高められていくわけです。 

大事なのは、対話(=ダイアローグ)だと思います。対話とはそれぞれ異なる“個”がもつ論理が、互いにぶつかりあって成り立っているわけです。それでいて、矛盾するのではなく、関係性のなかでより高い次元へと昇華させることができる。 

この点、西洋的な思想はロゴス(言葉、概念、論理)の世界に収斂させていく特徴があります。むしろ私は、単なる言葉や個としての論理だけでなく、もっと情感的なものが働いているところにこそ、真の論理が立ち現れるように感じています。これは東洋的な思想の特徴とも言えると思います。 

道元禅師も、情感に働きかけるものの世界を見ていたのではないかと思いますね。 

後編はこちら 

★関連動画:新刊発刊記念インタビュー 木村清孝さん(仏教学者/曹洞宗龍宝寺・東堂)

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木村 清孝(きむら きよたか)  
1940年、熊本県に生まれる。東京教育大学文学部哲学科倫理学専攻卒業、東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専門課程博士課程単位取得退学。文学博士(東京大学)。専攻は中国華厳思想、東アジア仏教思想。東大教授などを経て現在、東大名誉教授、曹洞宗龍宝寺(北海道函館市)住職などを務める。おもな著書に『初期中国華厳思想の研究』(春秋社)、『中国華厳思想史』(平楽寺書店)、『「正法眼蔵」全巻解読』などがある。  

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『永平広録』「上堂語・小参」全訳注(上)
『永平広録』「上堂語・小参」全訳注(下)
木村清孝・著 各¥4,180 (税込)

道元(1200-1253)の思想的全体像を知るためには、その主著『正法眼蔵』とともに説法や法話を集めた語録『永平広録』の読解が不可欠である。
本書は『永平広録』の原漢文・現代語訳文・訳註からなり、上巻は巻第1から巻第4までを収載する。下巻は巻第5から巻第8(小参)までを収載しています。
下巻末に道元年譜・道元関連禅宗法系図が付いています。

【目次】
上巻:
序 言
凡 例
解 題
道元和尚広録第一 開闢本京宇治郡興聖禅寺語録
道元和尚広録第二 開闢越州吉祥山大仏寺語録
道元和尚広録第三 永平禅寺語録
道元和尚広録第四 永平禅寺語録

下巻:
凡 例
道元和尚広録第五 永平禅寺語録
道元和尚広録第六 永平禅寺語録
道元和尚広録第七 永平禅寺語録
道元和尚広録第八 越州永平禅寺玄和尚小参
あとがき
『永平広録』主要参考文献一覧
道元年譜
道元関連禅宗法系図

上巻
ISBN:9784333028948
出版社:佼成出版社
発売日:2023/02/28

下巻
ISBN:9784333028955
出版社:佼成出版社
発売日:2023/05/30