【後編】『永平広録』に込められた道元の願い|木村清孝さん
鎌倉時代の禅僧・道元(1200-1253)の語録『永平広録』。道元が弟子たちに対して行なった説法の数々や偈頌(漢詩)などをまとめた全10巻の語録のうち、定期の説法「上堂語」と臨時の法話「小参」を訳した『『永平広録』「上堂語」「小参」全注訳』がこのほど、佼成出版社より出版された。上巻・下巻の完結を記念し、曹洞宗龍宝寺の東堂(前住職)で、長年にわたり華厳思想を研究されてきた著者の木村清孝氏にお話を聞いた。前編では仏教学者としての木村氏の歩みを、後編では『永平広録』に込められた道元の願いについて紹介する。
——道元禅師を理解しようとする場合にも、論理だけでなく情感を重んじることが大切なのでしょうか?
『永平広録』のなかには、法堂(本堂)にある露柱(丸柱)や灯籠が説法をするという話が出てきます。まさに、単純な論理では捉えられない話です。悟りを得るためには、論理を超えた、情感的なものが必要であることを、道元禅師ご自身が体験されていた証ではないかと思うのです。
特に『永平広録』における「上堂語」に限って言えば、釈尊とその願いを同じくし、本物の出家者を育てようとした道元禅師からの、弟子たちへの呼び掛けであるわけです。ですから、読み手は「釈尊から私への呼び掛けなんだ」と思って読んで差し支えないでしょうし、そんなふうに本書をお読みいただくことで道元禅師のメッセージを受け取れるのではないかと思います。
——学究と、僧堂での修行を通じて道元禅師と向き合ってこられたわけですが、改めて道元禅師の語録を訳されるなかで、気づいた点などはありましたでしょうか?
学生時代に『正法眼蔵』を読んでいたときには、言葉にしても語彙にしても、表面に見えている論理を追いかけて整理しているだけだったように思います。それが『永平広録』を現代語訳していく中で、道元禅師があらゆる方法で法を説いてくださっていることを実感できましたし、言葉の背景にまで想像力を働かせ、私自身が情感的に受け取れるものもありました。
親しい人同士でも、「この馬鹿者!」と言って愛情を示すことがあるように、背景にある思いによって、言葉の意味するところが変わってくるんですよ。いま、この人がどんな悩みを持ち、何を求めているのか。それを見通して応えられるのが師(=善知識)でしょう。善知識とは、すなわち“善き友”です。禅では「親切」という言葉を使いますが、まさにその親切心。相手を心から思う親切心で語り掛けるからこそ、情感に響くものがあるともいえるでしょうね。
仏教では慈悲の心も重んじていますが、「慈」はサンスクリット語で「マイトリー」といい、これも「友」という言葉と語源は一緒です。その意味では、「一人でも二人でも、本物の出家者を育て」ようとされた道元禅師の慈しみの言葉と、釈尊が弟子たちの機根に合わせてなされた対機説法は、同じ願いに基づくものだと捉えられます。『華厳経』で善財童子が修行者としての境地を高めていくことができたのも、異なる師(=善知識)それぞれの思いを、論理だけでなく情感で受け止めることができたからではないでしょうか。
——読み手の中に、道元禅師のメッセージに共鳴するものがあるということでしょうか?
『永平広録』は出家者向けの難解な教えですから、必ずしも全てが響くとは限りません。また、受け手の感受性によって、響いてくる箇所は当然変わるだろうと思います。
ですが、繰り返しお伝えしている通り、「上堂語」における道元禅師の言葉は、釈尊に代わって述べられている言葉です。1回読んで分からなければ、2回読んで頂きたいですし、それでも分からなければ、3回でも4回でも開いてもらいたいですね。もしも、一句でも「ここだ!」と思える箇所を見つけることができたならば、この本の役割は果たせたとも言えます。
『永平広録』には、露柱・灯籠が説法している声が聞こえるかと、弟子たちに問う道元禅師の法話が収められています。道元禅師は、「もしも聞こえないのであれば、それは五戒を守ることにも劣るぞ」と厳しく叱責されているのです。
五戒とは仏教者にとっては基本の戒です。ここには、「言葉以外の形での説法もあるじゃないか」という師からのメッセージがあるのですが、情感が養われることで、モノや自然が発する説法を聞くことができるし、“本物の出家者”たる人物に、道元禅師はそこまでの境地を求めたともいえるでしょう。その厳しいひと言には、味わい深いものがあります。
これだけの真剣さをもった祖師はそういません。読者の皆さんには“突出した人”の言葉に触れていただくべく、ご愛読願いたいと思います。
《前編はこちら》
★関連動画:新刊発刊記念インタビュー 木村清孝さん(仏教学者/曹洞宗龍宝寺・東堂)
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木村 清孝(きむら きよたか)
1940年、熊本県に生まれる。東京教育大学文学部哲学科倫理学専攻卒業、東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専門課程博士課程単位取得退学。文学博士(東京大学)。専攻は中国華厳思想、東アジア仏教思想。東大教授などを経て現在、東大名誉教授、曹洞宗龍宝寺(北海道函館市)住職などを務める。おもな著書に『初期中国華厳思想の研究』(春秋社)、『中国華厳思想史』(平楽寺書店)、『「正法眼蔵」全巻解読』などがある。
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『『永平広録』「上堂語・小参」全訳注(上)』
『『永平広録』「上堂語・小参」全訳注(下)』
木村清孝・著 各¥4,180 (税込)
道元(1200-1253)の思想的全体像を知るためには、その主著『正法眼蔵』とともに説法や法話を集めた語録『永平広録』の読解が不可欠である。
本書は『永平広録』の原漢文・現代語訳文・訳註からなり、上巻は巻第1から巻第4までを収載する。下巻は巻第5から巻第8(小参)までを収載しています。
下巻末に道元年譜・道元関連禅宗法系図が付いています。
【目次】
上巻:
序 言
凡 例
解 題
道元和尚広録第一 開闢本京宇治郡興聖禅寺語録
道元和尚広録第二 開闢越州吉祥山大仏寺語録
道元和尚広録第三 永平禅寺語録
道元和尚広録第四 永平禅寺語録
下巻:
凡 例
道元和尚広録第五 永平禅寺語録
道元和尚広録第六 永平禅寺語録
道元和尚広録第七 永平禅寺語録
道元和尚広録第八 越州永平禅寺玄和尚小参
あとがき
『永平広録』主要参考文献一覧
道元年譜
道元関連禅宗法系図
上巻
ISBN:9784333028948
出版社:佼成出版社
発売日:2023/02/28
下巻
ISBN:9784333028955
出版社:佼成出版社
発売日:2023/05/30