極楽往生の教え描く舞台~「能に描かれた念佛」第1回公演「誓願寺」

 

7世紀創建と伝わる湖国随一の古刹にして、智証大師円珍による再興より、中世に至るまで比叡山延暦寺と勢力を二分した天台寺門宗総本山・長等山園城寺。むしろ境内に湧く霊泉に因んだ三井寺の称を挙げたほうがわかりやすいだろうか。近江八景の一つ「三井の晩鐘」や日本三不動の国宝「黄不動」で名高く、能「三井寺」の舞台としてもつとに知られている。

大津市中部に位置するこの寺の隣接地に、1995年に開館したのが「大津市伝統芸能会館」である。こうした公立の能楽堂は得てして「造ること」が目的になりがちで、その後の運営がお粗末になり、幅広く住民に利用してもらうという名目のもとに、演能など数年に一度あるかないか、という「能楽堂の形をした貸し館ホール」になってしまうケースが少なくないが、この会館では開館以来、自主事業としての能楽公演を続けていることが特徴的である。2023年度は「能に描かれた念佛」をテーマに、4回の公演を展開中。弥陀信仰を背景とし、念佛が登場する「誓願寺」「清経」「當麻」「百萬」の各曲を上演している。今回はまず、6月17日に開かれた第1回公演「誓願寺」についてご紹介しよう。

一遍上人と和泉式部の邂逅

阿弥陀如来を本地仏とする三熊野の証誠殿に参籠した一遍上人は新たなる霊夢を受け、「六十万人決定往生」の念仏札を広めるため都へ向かい、誓願寺に至った。やがて一人の女が札を受けたものの、「六十万人より外は往生に漏れ候べきやらん」と疑問を述べる。上人が「三熊野のご夢想にあった四句の文の上の字を、証文のために書き付けたものだ」と語り、「六字名号一遍法、十界依正一遍体、万行離念一遍証、人中上々妙好華」とその句を聴かせると、女も喜んで「決定往生南無阿弥陀仏」と念仏をとなえて本尊を礼拝する。やがて女は「誓願寺」の寺号を刻んだ額を除け、上人の筆にて「南無阿弥陀仏」の六字名号にしてほしいと言い出し、不審する上人に「わらはが住処はあの石塔にて候」と境内にある和泉式部の墓所を指し示して消え失せた。所の者に式部の故事を訪ねた上人が女の言葉通り、額を取り替えると、女人往生を果たして歌舞の菩薩となった和泉式部の霊が現れ、誓願寺の由緒を語り、阿弥陀如来の功徳を説いて舞を舞う。

大津市伝統芸能会館は用地の関係上、本舞台と揚ゲ幕を結ぶ橋掛リが短く、舞台に向かって左手の脇正面席が狭いため客席数217とやや少ないが、本舞台は本格の三間四方あって、「舞台との距離感が近い」と好評だ。自主公演には地元や京阪神はもちろん、東京圏からも観客が集まる。この日のシテ、味方玄は京都の観世流屈指の人気役者とあって、満員の盛況だった。

200曲余りある能の現行曲のなかでも、「誓願寺」は上演頻度の高い曲ではなく、どちらかと言えば通好みの渋い選曲と言えるだろう。初心者向けや入門編ではなく、30年近くにわたって自主公演を継続し、大津の地において能の観客層を涵養してきたという大津市伝統芸能会館の自負がうかがえる企画だ。

前シテの端正な姿

「次第」の囃子でワキ・一遍上人(福王知登)と住僧2人が出る。ワキが旅の僧であることは能の定番であるが、着流シ姿の名もなき僧とは異なって白の大口袴を着け、小豆色の水衣(上着)の下には小格子柄の厚板を着るという格式ある姿である。知登はワキ方福王流宗家、福王茂十郎の次男で1981年生まれ。能の世界では若手に属する年齢だが、既に数々の大曲でワキを勤め、存在感を発する大きな芸風には定評がある。この日もスマートな所作と明瞭な発声で時宗開祖の品格を存分に発揮した。紙札を胸に差して誓願寺に到着し、「告に任せて札を弘めばやと思ひ候」と宣言すると、床几に座して「ありがたやげに仏法の力とて。貴賤群集の色々に」云々と謡い上げ、境内の盛況ぶりを見事に浮かび上がらせる。

笛と大小鼓が閑かな「アシライ」を奏するなか、前シテ・女(味方玄)が揚ゲ幕を出て、橋掛リを静々と歩む。唐織着流シの端正な姿。ワキをしっかりと見て「所は名に負う洛陽の」と語りかけると、一足一足に重心を載せ、思いを載せるようにじっくりと慕い寄ってひざまずき、札を拝受する。「いかに上人に申すべき事の候」と「六十万人決定往生」の語意を問いかける意図は疑念や試問ではなく、大寺の法会における論議問答のごとく。シテとワキが丁々発止と問いと答えを応酬して念仏往生の教えを展開し、説き聞かせるという構成だ。「皆うち捨てて南無阿弥陀仏と称ふれば。仏も我もなかりけり」との結論は畢竟、浄土の教えの極意であり、シテが札を戴いて胸中に納め、安堵の表情を浮かべたのも、胸に落ちる思いがした。

地謡(片山九郎右衛門、浦田保親ほか)によって夜念仏の情景が謡い描かれるなか、「この御本尊も上人も。ただ同じ御誓願寺ぞと」とシテが正面をわずかに見上げて面を照らすのは、本堂正面に掲げられた「誓願寺」の扁額を見上げる意。能は背景もなく、作リ物(大道具)が使われても最小限のシンボリックな形だが、演者の表現と受け手の印象によって情景がありありと描かれるイマジネーションの芸術であることを端的に示した見事な演技である。そこから額を六字名号にせよという話になる展開も自然。身の上を匂わせて消え失せるかと思いきや、振り返りざまワキへ「和泉式部は我ぞとて」と宣言しつつ、わずかに左腰引き、右足を押し出すようにした姿勢で明確な意志を示し、電撃が走るような強い印象を残した。

舞い表される清澄な精神世界 

本尊の由緒を物語る間狂言・所の者(小笠原由祠)の語リの後、舞台の空気が改まって後場になる。ワキが自ら六字名号を書き付けて額を取り換えたことを述べると、歌舞の菩薩となった後シテ・和泉式部の登場となる。太鼓が打ち出し、荘重な「出端」の囃子のなか、頭上に白蓮の天冠を戴いたシテが、前場とは対照的に、リズムに載った軽快な足取りで現れた。

立場に関わりなく一切衆生の極楽往生は既に阿弥陀仏によって決定されているので、仏を信じて念仏を唱えよ、というのが一遍上人の教え。それより約250年前、阿弥陀仏に帰依して誓願寺で得度し、念仏三昧の余生を送って極楽往生したとされるのが和泉式部である。「誓願寺」の後場では、天智天皇の御願で開かれたこの寺で、春日明神の御作にかかる本尊・阿弥陀如来が衆生を済度し、西方浄土に導かれるとの物語をシテが舞い表すことで、式部の生き方と一遍の教えを二重写しにして示す意図があるのだろう。物語の中核となるクリ、サシ、クセの後半、シテが「十悪八邪の迷ひの雲も空晴れ」と面の前で晴れ晴れと扇を押し開き、「唯心の浄土とはこの誓願寺を拝むなり」と恭しく合掌してみせたことが、しみじみと心に響いた。

物語の結果として言葉が尽き、抽象的な充実、あるいは空虚の表現として囃子による舞に突入するのが、精神的なクライマックスを描く能の手法であるが、「誓願寺」では法悦の極点として太鼓序之舞が舞われる。味方玄の舞の美しさは折り紙付きであるが、動きを強調して目を引こうとするわけではなく、袖を掛け、はねるといった所作も抑制的に、少な少なに舞い進めることで、清澄な精神世界を提示してみせたことは出色だろう。恣意性を排した動きが淡々と繰り広げられるなか、低く、くぐもったように響く足拍子が悟性の音色と聞こえた。

「誓願寺をにらむなり」


能「誓願寺」については森田光風編「千野の摘草」に面白い逸話がある。

京都の片山九郎右衛門家は江戸時代、観世宗家に代わって西日本における観世流を代表し、禁裏の能に出仕した名家であるが、何代か前の九郎右衛門は大の「堅法華」で知られていた。あるとき、近衛公の御殿で「誓願寺」の独吟を所望され、「この曲は終身勤めぬ決心であるから」と固辞したが、それでも是非に、と強いてのお望みに謡うには謡ったものの、クセ止メの「誓願寺を拝むなり」を「誓願寺をにらむなり」と変えて謡ったため、大笑いになったという。

中世の京では「山科本願寺焼き討ち」や「天文法華の乱」で知られるように、浄土門徒と法華宗徒が激しく対立しており、その空気感は浄土僧と法華僧が言い争う狂言「宗論」にもうかがえる。さすがに江戸時代に入ってからは武力衝突はなかったようだが、そんな遺風が残っていたものと思われる。

知恩院や東西本願寺があることから、京都に浄土門徒が多いのは自明だが、本圀寺や妙満寺、本能寺など法華の本山も多く、京の旧家には案外、日蓮宗の檀家が少なくない。「千野の摘草」の逸話の真偽は定かではないが、確かに片山家は今も日蓮宗の鳥辺山通妙寺を菩提寺としておられる。もっとも明治以来、東本願寺の演能は金剛家、西本願寺は片山家の承りと決まっているぐらいで「堅法華」ということはなく、「誓願寺」が禁曲になっているという話も聞かない。今回シテを勤めた味方玄は片山家の一門であるが、祖父は西山浄土宗十念寺住職であったというから、西山深草派総本山である誓願寺とはまんざら縁がないわけでもない、と言えるかもしれない。

1月6日に新春公演「百萬」「福部の神」 

年明け1月6日には今年度の第4回、新春公演として、味方玄の能「百萬・法楽之舞」と茂山千五郎の狂言「福部の神・勤入」が上演される。また4月7日には「紫式部の筆はしる~石山寺と元治供養」と題した特別企画公演で、NHK大河ドラマ「光る君へ」のヒロイン、紫式部がシテの能「源氏供養」(吉浪壽晃ほか)を上演。歌人、林和清さんによるお話「紫式部、石山寺で筆をおこす」もある。

能に描かれた念仏 第4回 新春公演(主催:大津市伝統芸能会館)
開催日時:2024年1月6日(土) 14時開演
会場:大津市伝統芸能会館
狂言『福部の神 勤入』(大蔵流)
能『百萬 法楽之舞』(観世流)


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澤木政輝(さわき・まさてる)  
1973年、京都市生まれ。京都大学法学部卒。1998年に毎日新聞社入社。記者職の傍ら、専門誌などで演劇評論家、美術評論家としても活動する。京都芸術大学非常勤講師、大阪文化祭賞審査委員。著書に「京の美 都の響~京都芸大百三十年の歩み」(2011年、求龍堂)、「見る・知る・読む 能舞台の世界」(2018年、勉誠出版、共著)、「祇園の祇園祭~神々の先導者 宮本組の一か月」(2019年、平凡社)。

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