百丈「独坐大雄峰」とキサーゴータミー
先月5月、『『永平広録』「上堂語・小参」全訳注(下)』(木村清孝・著)を無事に刊行させて頂くことができました。
本書は上下2冊本です。上巻(2023年2月刊行)をお買い求めくださって、下巻を近所の書店さんへご注文になり、「入手しました」とのメールをお寄せくださった方もありました。読者の方からの喜びの声(メール)は編集部員の励みになります。有り難いことです。
この本の編集作業の中で気づかされた点を一つ、ご紹介致します。
それは、『永平広録』の上堂語の第443番(本書下巻所収)において、道元禅師が百丈慧懐(ひゃくじょうえかい)禅師の言葉を引用して語られている箇所です。以下に当該箇所のみ記します。
こういう話がある。百丈〔慧懐〕にある僧が尋ねた。「特別なこと(奇特事)とは、どういうことですか」。百丈がいった。「独りこの百丈山(大雄峯)で坐禅することじゃ」と。(『『永平広録』「上堂語・小参」全訳注(下)』151頁)
この話は「百丈奇特」「独坐大雄峰」の名で知られる有名な公案(例えば『碧巌録』第26則など)ですが、問題はここに出てくる「ある僧」についてです。この公案に関して、著者の木村清孝先生は注記をされ、典拠として『天聖広灯録』巻8を挙げられるとともに、「ある僧」の背景を以下のように紹介されています。
なお、この説示を受けた僧は、父母をともに失い、哭(な)いて法堂(はっとう)に入ってきて、百丈にそれら両親の弔いを願い、その後でこの問いを発したという。この僧にとっては、人生の悲しみの底での問いであり、百丈の応答が、それを受け止めての発語であったと伝えられることを忘れてはなるまい。
(同前、注1)
この注の説明によりますと、「ある僧」の問いは、両親を亡くすという苛酷な状況下にギリギリのところで絞り出された言葉であることが分かります。わたくしは、これまで、この「ある僧」の問いを、本心から訊いているものではなくて、何か脳天気なもののように感じていました。そのような深刻な背景があっての問いであることは、『永平広録』の本文からは分かりませんので、木村先生による注記のおかげで知ることができました。
この「ある僧」の背景を読んで思い起こされるのが、キサーゴータミー尼のエピソード
です。キサーゴータミー尼は、お釈迦さまの直弟子でいらした尼僧さまで、出家前は苛酷な人生を歩まれた方ですが、お釈迦さまの導きによって聖者となられました。(キサーゴータミーとは、「痩せたゴータミー」の意味です。)
わたしたちは、キサーゴータミー尼の人生の一端を、『テーリーガーター』という初期の仏典から知ることができます。夫と二人の子どもを亡くし、悲しみの極限を体験しながらも、釈尊の教えを実践して苦悩を克服され、「すでに、わたしは、〔煩悩の〕矢を折り、重い荷をおろし、なすべきことをなしおえました」(中村元訳『尼僧の告白――テーリーガーター――』岩波文庫、50頁)との言葉が、キサーゴータミー尼のものとして残されています。
キサーゴータミー尼は、深い悲しみからどのようにして正気を取り戻し、聖者の境界へ至ったのか。その経緯について、訳者の中村元先生は同書の注において以下のように解説されています。
嫁(か)して男子を産んだが、死なれ、その亡骸を抱いて「わたしの子に薬をください」といって町中を歩き廻った。これをあわれんだブッダは「いまだかつて死人を出したことのない家から、芥子(けし)の粒をもらって来なさい」と教えた。しかし彼女はこれを得ることができなかった。彼女は、ハッと人生の無常に気付いて出家した。
(同前、108頁下段、注218)
キサーゴータミー尼は、お釈迦さまから「いまだかつて死人を出したことのない家から、芥子の粒をもらって来なさい」といわれて、先の「ある僧」は百丈慧懐禅師から「独りこの百丈山で坐禅することじゃ」といわれて、きっとそれぞれに観ずるものがあったものと想像されます。
お二人が何をどのように観じられたのか、それを言葉で説明することは難しい。けれども、苦悩する人に向けて、その苦の「重荷」をその人の肩から下ろしてあげることのできる人がいて、重荷を下ろすことができた人がいたことを、仏典は現代のわたしたちに教えてくれています。
2023年6月13日(火)
担当編集:通雲 記
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『『永平広録』「上堂語・小参」全訳注(下)』
木村清孝・著 ¥4,180(税込)
作品紹介:道元(1200-1253)の思想的全体像を知るためには、その主著『正法眼蔵』とともに説法や法話を集めた語録『永平広録』の読解が不可欠であります。
本書(上下2巻)は『永平広録』の原漢文(白文。底本は門鶴本=祖山本)・現代語訳文・訳注からなり、下巻は巻第5から巻第8(小参)までを収載しています。
巻末に道元年譜・道元関連禅宗法系図が付いています。
木村清孝
一九四〇年(昭和十五年)、熊本県に生まれる。東京教育大学文学部哲学科倫理学専攻卒業、東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専門課程博士課程単位取得退学。文学博士(東京大学)。専攻は中国華厳思想、東アジア仏教思想。四天王寺女子大学教授、東京大学教授、国際仏教学大学院大学教授および学長、鶴見大学教授および学長などを経て現在、東京大学名誉教授、仏教伝道協会会長、曹洞宗大本山總持寺顧問、函館少年刑務所教誨師、曹洞宗龍宝寺(北海道函館市)東堂を務める。
おもな著書に『初期中国華厳思想の研究』(春秋社)、『中国仏教思想史』(世界聖典刊行協会・パープル叢書)、『中国華厳思想史』(平楽寺書店)、『華厳経入門』(角川ソフィア文庫)、『東アジア仏教思想の基礎構造』(春秋社)、『正法眼蔵全巻解読』(佼成出版社)、『教養としての仏教思想史』(ちくま新書)、おもな訳書・共訳書に『華厳経』(筑摩書房・仏教経典選5)、『十住経・兜沙経・菩薩本業経・文殊師利発願経 他(インド撰述部・華厳部⑤─4)』(大蔵出版・新国訳大蔵経)、おもな共著に『仏教の東伝と受容(中国Ⅰ・南北朝)』(佼成出版社・新アジア仏教史06)などがあるほか、研究論文が多数ある。
(※略歴は刊行時のものです)
【目次】
凡 例
道元和尚広録第五 永平禅寺語録
道元和尚広録第六 永平禅寺語録
道元和尚広録第七 永平禅寺語録
道元和尚広録第八 越州永平禅寺玄和尚小参
あとがき
『永平広録』主要参考文献一覧
道元年譜
道元関連禅宗法系図
ISBN:9784333028955
出版社:佼成出版社
発売日:2023/05/30