忙しい人の正体は怠け者
以前は怠る者であっても、
(それに気づき)怠らない人間になるならば、
その人はあたかも雲を離れた月のように
世を照らす。(一七二)
「怠け者」という言葉を聞くと、何もしないでぼけっとしている人を思い浮かべます。しかし実際のところ、怠け者はけっこう忙しいのです。何もしないで座ってお菓子ばっかり食べている人が、「さて、掃除でもしましょう」と思い立ったところで、いつまでたってもやり始めません。
なぜやらないかというと、頭の中であれこれとごちゃごちゃ考えているからです。「別に毎日掃除をしなくてもいいんじゃないかなあ……。人間にはもっと大切なことがあるんじゃないかなあ……」という具合に考えているから、時間がなくなって忙しくなります。忙しいからいろいろな仕事をやり残してしまいます。だから忙しい人の正体は怠け者なのです。
怠け者は時間をとても無駄に使います。こころがちっとも落ち着いていないから、彼らはいつも「忙しい」と言っているのです。それは生きることに失敗していることを意味します。あまりにも真剣に「忙しい」と言うときほど、人はどこかで失敗しているのです。「やることが多過ぎて忙しい」と言っても、一日の時間は決まっています。その範囲でやるべきことをやればいいだけの話です。それをやっていない人は、いつでも「忙しい」という強迫観念を抱いてしまうのです。本人がいくら忙しがっていようと、実際にはほとんど仕事は片づいていないのだから、客観的な評価は怠け者ということになります。本人にしてみれば、「時間がなくて仕事ができない」ということになるのでしょうが……。でもそれは、いろんな仕事をさぼっていることへの言い訳なのです。
子育てに失敗すると、親たちは決まってこう言います。「もっと子供が小さいときに遊んであげればよかった。でも、あのときは仕事が忙しかったから……」。でも、そのときに子供と遊んでやることが、その親にとって「やらなければいけない仕事」だったのです。どんなに「忙しかったから……」と言い訳をしても、子育てを怠けていたことに変わりはありません。
猛烈に仕事をしている人は、そのために他のことがおろそかになっていても言い訳はしません。締め切り前のライターの部屋は散らかり放題で汚いかもしれない。でも彼は一つの仕事に集中して取りかかっています。そういう人は「忙しくて部屋の掃除ができなかった」などと情けない言い訳をしません。奥さんには怒鳴られるかもしれませんが、自分が真剣に仕事に打ち込んでいれば、そんな言葉は出てこないはずです。部屋を掃除していたら原稿の締め切りに間に合わなくなるのですから、もはや掃除など自分が今やるべき仕事ではないのです。だから、たとえ部屋が汚れていても、いらいらしたり嫌な気分になったりすることはありません。
もし、原稿の締め切りにも間に合わず、部屋の片づけもできていないなら、その人はいろいろ文句を言って周囲に当たり散らすでしょう。そういう人を怠け者と言うのです。どちらの仕事もできていないのだから。時間の流れの中で、そのときにやるべきことをしっかりとやっていれば、こころはいつも落ち着いていられます。
大事なことは時間を無駄にしないことです。そのためにはきちんと一日のスケジュールを決めてこなしていかなければなりません。お金を稼ぐ仕事以外にも、掃除をしたり、洗濯をしたり、ごはんを作ったりするときも、一分単位でてきぱきと取り組んでいけば、ふつうの人より何倍も仕事をこなせます。部屋の掃除をしてもらったり、ごはんを作ってもらったりするために奥さんをもらうという発想の人は、はっきり言えば怠け者です。客観的に見て「これはどうしても時間的に無理だから、人の手を借りましょう」という場合は怠け者ではありません。
ブッダは「怠けている人はものすごく忙しく振る舞う。怠けない人、怠らない人は忙しく振る舞わない」と言われています。怠けない人は冷静に淡々と、やらなければならないことをしっかりとこなしていきます。周囲から文句を言われるからといって、あせって走り回ることはしないのです。
冒頭の偈にまつわる物語を紹介しましょう。あるお坊さんがお寺で朝も昼も夜も掃除をしていました。お寺には長老がいます。その長老は毎日早朝のお勤めを終え、朝食を済ませると、一日中ずうっと冥想をしています。すでに長老は悟られていました。もう一方のお坊さんは、朝から寝る時間までお寺じゅうを隅々まできれいに磨き上げていました。もちろん、そのお坊さんはとてもがんばっているつもりでした。それだけに彼は長老に対し不満をつのらせていました。長老の姿が何もせず、ただごはんを食べて座っているだけのようにしか見えなかったからです。お坊さんは長老に怒りを込めて言いました。「長老さまは信者さんから布施(食事)をいただいているのに何もしていないではないか」。すると長老はお坊さんに「怠ける」ということの本当の意味を語り始めました。
「人は自分の仕事を一生懸命にやるべきなのです。いったい、あなたは掃除をするために出家したのですか。解脱するために出家したのではないのですか。あなたは仕事をしていると思っているかもしれませんが、本当は怠けているのです。一分たりとも休んでいないからといって、自分はがんばっているなどと勘違いをしてはいけません。あなたは相当な怠け者ですよ」
長老の言葉にお坊さんは、はたと気づきました。
「俗世間では朝から晩まで掃除をしていれば『よくがんばるお坊さんだ』と評価されても、仏教の教えに照らせば自分は相当な怠け者だ。今まで本来やるべき仕事をしていなかったのだから……」
それからというもの、お坊さんは朝早くにだけ掃除をして、あとはひたすら冥想の修行に打ち込むようになりました。そして、ついに悟りを開いたとき、周囲を見渡すとお寺のあちこちが汚れていました。事情を知らない他の人々から「どうして掃除をしないのですか。以前と違ってずいぶんお寺が汚れていますよ」と言われたとき、お坊さんは「ああ、昔は怠けていたので、よく掃除をしました」と答えたそうです。
何もかもやろうとするのは、ただ智慧がないというだけのことです。何もかもするのではなく、自分の本業をしっかりとやり遂げること。それで他のことができなくなってもかまいません。怠け者に限って、何もかもやりたがるものです。もう一度、ブッダの教えを思い出してください。「怠ける」という言葉の本当の意味は何か。それは「やるべきときに、やるべきことをやらないことだ」ということを──。
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『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一悟』
アルボムッレ・スマナサーラ・著 ¥1,210 (税込)
原訳「法句経(ダンマパダ)」シリーズ第2弾。ブッダの悟りが、あなた自身の“生きがい”となる! スマナサーラ長老が説く「強く、賢く生きるための仏教」。
アルボムッレ・スマナサーラ
1945年4月、スリランカ生まれ。スリランカ仏教界長老。1980年に来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は(宗)日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事。ブッダの根本の教えを説き続けている。著書に『原訳「法句経」一日一話』(佼成出版社)『なぜ、悩む!』(サンガ)『希望のしくみ』(宝島社)『ブッダの智慧で答えます生き方編』(創元社)などがある。
【目次】
はじめに
第1週 こころの法則を知る
第2週 人生苦と向き合う
第3週 賢者の道を歩む
第4週 人格の完成をめざす
ISBN:9784333021826
出版社:佼成出版社
発売日:2005/11/30