利他行は大乗仏教の根幹である
文字どおり、自分を利することを「自利」といい、他者を利することを「利他」といいます。もっと具体的にいいますと、仏教では自分の悟りを求めることを「自利」といい、他者を救済することを「利他」といっているのです。
この「自利利他」という概念は、大乗仏教において大変重要な位置を占めています。大乗仏教で悟りを求める人のことを、「菩薩」といいます。インド古代の雅語であるサンスクリット語では「ボーディ・サットヴァ」(「ボーディ」が悟り、「サットヴァ」が衆生の意で、悟りを求める人を表す)といい、これを中国で「菩提薩埵(ぼだいさった)」と音写しました。この「菩提薩埵」を略したことばが「菩薩」というわけです。「自利利他」は、菩薩が必ず踏み行わなければならない生き方とされたのです。
お釈迦さまが亡くなったあと、仏教教団は数百年をかけて分裂を繰り返します。そして、二十もの部派に分かれます。この時代を「部派仏教」の時代といいますが、この分裂は決して仏教教団の衰退を意味しませんでした。それどころか、それぞれの部派が王侯貴族や大商人の帰依を受け、仏教全体としてはインド中を席巻するほどに栄えていったのです。
こうして仏教教団の経済的基盤が確立されていくと、僧侶は托鉢をする必要がなくなります。すると、いつしか庶民の中に入っていくことを忘れ、寺院に閉じこもって仏教教理の研究に精を出すことになりました。その結果教理は精緻になっていきますが、逆にいえば難しく煩瑣になり、どんどん庶民から離れていくことになります。仏教はエリートである部派仏教僧侶の研究対象であり、彼らが悟りを開く手段とされる一方、衆生救済という命題からはほど遠いものになっていきました。
このような状況に風穴を開けたのが、紀元前後に興った「大乗仏教」という宗教改革運動です。大乗仏教徒たちは従来の部派仏教徒に対して、「あなたたちは自分一人が小さな船に乗り、悟りの彼岸に渡ろうとしている。そんな自分だけが救われればいいという小さな根性は、小乗仏教とでも呼ぶのがお似合いだ。われわれは違う。大きな船に民衆みんなを乗せていっしょに彼岸に渡る大乗仏教こそわれわれの願うところだ」と主張し、大乗仏教を興起させたのです。
大乗仏教徒は、「自利」のみを求める部派仏教徒を「小乗」と呼び、批判しました。したがって、大乗仏教徒はなによりも「利他」を重視しました。他者の救済です。そして、自利(悟り)とは利他の修行があってはじめて得られるものだと主張しました。大乗仏教徒は、このようにして悟りを求めるものを「菩薩」と呼んだのです。だから、菩薩にとっての自利利他は生き方の根幹をなすものなのです。
日本に伝えられた仏教は、この大乗仏教です。中国から朝鮮半島を経て伝来しました。したがって、日本仏教も自利利他を重視します。
関ヶ原の戦いで圧倒的な強さを発揮し、天下を平定した徳川家康の軍勢は、「上求菩提下化衆生(じょうぐぼだいげけしゅじょう)」を旗印として戦ったといわれます。「上求菩提」は、文字どおり上に菩提(悟り)を求めることであり、自利を意味します。これを「向上門(こうじょうもん)」ともいいます。対して、「下化衆生」は下に衆生を化す(救済する)ことであり、利他を意味します。これを「向下門(こうげもん)」ともいいます。大乗仏教の自利利他の精神が、武士の間にも浸透していたことがわかります。
飛鳥時代、仏教精神で国を統治しようとした聖徳太子は、大阪の四天王寺に敬田院(きょうでんいん)、悲田院、施薬院(せやくいん)、療病院という四箇院(しかいん)を設け、窮民や孤児、病人の救済にあたりました。まさに利他行に尽くされたのです。
奈良時代には、道路や橋をつくり、灌漑事業などを行って庶民のために尽くした行基が活躍しました。
平安時代になると、弘法大師空海は東寺の隣に綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開いて庶民の子どもたちの総合学校とし、故郷の讃岐の満濃(まんのう)池を修築工事して人々を水害から守るなど、やはり利他行を行っています。
平安仏教のもう一方の雄である伝教大師最澄は、「利他をもって自利となす」という有名なことばを残しています。これは重要です。他者のために尽くすということ(利他)は、結局自分の利益となって返ってくる(自利)というような、そんな見返りを求めてすることではなく、他者のために尽くすこと(利他)の中に、すでに自分の喜び(自利)が花開いているのだということでしょう。これは、自利と利他のあるべき関係をズバリと見抜いたことばだと思います。利他行を行うことがそのまま自利なのです。いわば、人のために尽くすことがそのまま運を呼び込む行為なのです。
鎌倉時代は、浄土宗を開いた法然、浄土真宗の宗祖である親鸞、臨済宗を日本にもたらした栄西、曹洞宗の開祖である道元、日蓮宗を開いた日蓮、時宗の宗祖である一遍などの天才を輩出しましたが、これらのお祖師さま方は、それぞれの立場で自利利他を思想化し、後世に残す役割を担ったといえると思います。
このように、日本仏教は大乗仏教であり、その中心には自利利他の精神が息づいており、私たちのDNAにも深く浸透しているのです。
前述した最澄の「利他をもって自利となす」ということばは、現代日本の企業経営者にも幅広く受容されているようです。
企業は利潤を追求します。利潤追求は自利の行為ですが、利潤は自分の利益のみを求めて得られるものではありません。逆に、人に喜ばれるもの、人々の役に立つサービス、社会を潤す商品や情報などを発信してはじめて広く受け入れられ、結果として利潤がついてくるような発想やシステムでなければ、決して長続きしません。つまり、利他が即自利であるような企業理念を持たなければ、特にこれからの社会では成り立たないのではないでしょうか。
人さまの年金を預かり、運用して高い利益を上げているなどといううそを言い、二千億円もの企業年金を消失させた投資顧問会社は、自分たちのことしか考えていませんでした。利他のかけらもないこんなやり方で、企業が成り立つはずはありません。
放射能をまき散らし、原発が使えなくなって火力発電にお金がかかったから、電気料金を上げて消費者に負担させれば済むと思っている大手電力会社も、利他の心があるとは思えません。したがって、自利という運が舞い込むこともないでしょう。
大阪、伊勢と並んで日本三大商人の一角をなすといわれる近江商人には、「三方よし」という思想が伝わっているそうです。「売り手よし、買い手よし、世間よし」ということです。売り手である自分も利益を上げ、買い手である相手も喜んでくれて、周りの世間にも恩恵が行き渡る商売を心がけなければならないということです。真宗の近江門徒は仏教の教えをもとに自利利他の精神を商売のうえで実践していたのです。大手電力会社の経営陣にも聞かせたいことばです。
経営の神さまといわれた松下幸之助翁は、「あなたが世の中に対して提供した価値の十分の一があなたに返ってくる」と言っています。まさにそのとおりではないでしょうか。最澄が言うように、見返りなど求めずに社会のために尽くす。その結果、求めずとも一割ほどの恩恵があったとしたら、これは喜ぶべきことです。日本の経営者が自利利他の精神をたいせつにしているかぎり、きっとこの未曾有の大不況を乗り越えられると信じたいと思います。
東日本大震災では、おおぜいのボランティアの方々が活躍していました。関東や関西などから深夜バスで被災地に駆けつけ、宿泊所も自分たちで手配し、黙々と瓦礫処理や町々の片づけ、支援物資の配給などに携わり、何日かの自分の役割を終えてまた黙って深夜バスで帰っていく……。見ていて胸を打たれました。
まさにこの人たちこそ、利他行の実践者です。彼らこそ菩薩たちだと思いました。清らかな汗を流した彼らの心には、被災地の人々との出会いや交流、被災者からの学び、達成感などという財産が築かれたことでしょう。それが彼らの自利なのだと思います。
私たちの身の回りでも、利他行を行おうと思えばいくらでもその機会はあるはずです。電車やバスでお年寄りや体の弱い人に席を譲ったり、荷物を持ってあげたり、人に優しいことばをかけるのも利他行です。町内会の役員として、地域のために役立つように努めることもいいでしょう。条件が許せば、ボランティアとして活躍するのも素晴らしいことです。要するに、人助けをするように心がけることが大事なのだと思います。
でも、私たちは恥ずかしがったり偽善的だと感じたりして、そういうことをなかなか決行できないものです。それも事実です。そんなときは、なるべく目立たないように、ひっそりとでいいですから、自分で納得できる範囲で実行するように心がけましょう。なにせ、利他行は大乗仏教の根幹であり、日本人のDNAに組み込まれているものなのですから。
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1946年、宮城県生まれ。横浜市立大学卒業後、出版社に勤務。主に児童書、仏教書の編集に携わる。現在、編集プロダクションを経営するかたわら、仏教書、エッセイ、小説などの執筆や講演活動にあたる。作家。日本ペンクラブ会員
奈良康明・監修
1929年、千葉県生まれ。東京大学文学部印度哲学梵文学科卒。同大学院人文科学研究科修士課程を経て、カルカッタ大学比較言語学科博士課程留学。文学博士(東京大学)。駒澤大学助教授、教授を経て、学長、総長を歴任。駒澤大学名誉教授。
【目次】
まえがき
第一章 勢い、尽くす可からず
第二章 他者をうらやまず
第三章 花を弄すれば
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出版社:佼成出版社
発売日:2012/9/30