『ブッダのお弟子さん』

 

作品に込めた著者の思いや、執筆の動機が綴られた「はじめに」「まえがき」「プロローグ」などを「本のいとぐち」として紹介します。

 

まえがき


ここに記すのは、私がタイ国、チェンマイの古寺にて出家して一年が経つ頃と、それからさらに一年半余りが経過した頃、寺の副住職(アーチャーン〈教授の意〉と呼称)と連れ立って日本を旅した記録です。年代でいえば、二〇一七年春(四月中旬)と、翌一八年秋(十一月中旬)ということになります。

ただ、私自身はそれぞれ一ヵ月余りの日本滞在で、アーチャーンを空港に見送った後は、故郷での用事やご無沙汰をしている人に会うなどして過ごします。その部分は、仏弟子ふたりの片割れ、私ひとりの個人的な旅(むろん、それまでの旅の中身と関連している)ということになります。

一つの体験を記録文学として成立させるためには、だいたい五、六年かかるとは、かつて学生時代の恩師が述べていたことです。私のこの作にも、それくらいの年月をかけてもいいのではないかという思いから、旅の後は落ち着いて腰を据えたのでした。時間とともに熟成するもの、認識を新たにすること、というのはあるもので、日誌にしてある旅の記録から、テーマにさわしい部分を抽出していく作業は、やはりそれ相当の時間がかかるような気がします。

但し、旅の記録がベースである以上、小説作品のようなわけにはいきません。そこはリアルに、実際にあった出来事を通して述べていくほかはなく、雑然とした内容にならざるを得ないと思われます。が、総じていうならば、やはりテーラワーダ(上座部)仏教という、釈尊(ブッダ=釈迦牟尼世尊の尊称)が開祖である原始仏教の法、戒律などがいかなるものか、その仏弟子とはどのような存在か、ということが旅の底に流れているものだろうと思います。

つまり、ふたつの旅を通して、私が属する仏教に関わる形で、戦後日本と日本人の姿が、いくつかの例をもっておのずと輪郭を現してくる、といったものにできるならば、目的の一つは果たせたといってよいかと考えます。わが国がこの前の戦争でこっぴどい敗戦(昭和二十年八月)を経てこの方、その後遺症的歳月がすなわち私たちの世代の年齢とほぼ同じであることには意味深いものがあるはずです。

パーリ語の「影(チャーヤー)」とは何かといえば、テーラワーダ仏教ではそれが僧の原語であり、その類別詞(ループ=姿)ともなっています。僧は「人(コン)」ではなく「姿(ループ)」であり、従って、アーチャーンと並んで歩くと、ふたつの影もしくは姿であるわけです。が、その姿カタチとはいかなるものか。私の場合、それは戦後の歳月と重なる、自分の人生の過去(=影ともいえる)、すなわち数知れない因果のめぐった来し方としています。それを公私ともの観点から解き明かしていくことも、むずかしいけれど大事なテーマとして扱います。

また、日本とタイの(とくに仏教に関わる)文化や国民性の違いなどにも折に触れて述べることになります。これも、ひとりのタイ僧を連れて歩くことで(かつ日本を異国としてみることで)おのずと気づくことになる事柄であり、その他の私事に関する話とともに、わが国の問題を浮き彫りにすることもあると思います。ユーモラスな話もあれば、深慮すべき話題もあって、それやこれやのごった煮もの語り、といったところでしょうか。

私が旅に掲げた標語は、過度を戒める落ち着きと、集中と気づき、といったものでした。老僧ゆえに無理をして疲れすぎないこと、不注意による事故を起こさないこと、一挙手一投足に気づいていくこと、等です。おそらく漂流的な日々となるであろうことと、大切な旅の連れを伴っているため、よけいにその点に留意したのでした。

そしてもう一点、つけ加えておきたいのは、二度目の旅は最初のそれを踏まえていること、つまり、二年続きの旅は前編と後編のように、互いに関連していることです。一度目の旅で述べ足りていない部分は二度目で補い、すでに最初の旅で述べている事柄は大事なこと以外、二度までのくり返しを避け、一連の紀行とする方針で進めていきます。また、私の他の作品に描いたことでも必要(不可欠)と思われる内容は重複させながら、しかしそれにも違った視点や新たな考えを加えるほか、その後の成り行きを加味するなどの配慮をしていくつもりです。

なお、蛇足ながら、文中で記すところの「仏教」の意は、古代インドで釈尊(ブッダ) が説いた原始仏教、テーラワーダ(上座部)のそれを指し、その他の「仏」を持つ語彙についても同様です。むろん、わが国の仏教界においても、その教えの本質において同じである会・派があることは、この稿にとって都合のよい点としておきたいと思います。たとえ異なる部分が(とりわけ戒律の面では)あるとしても、それはそれとして興味深く眺めていただければと願う次第です。

また、文中における経はむろんパーリ語(テーラワーダ仏教の公用語)ですが、その他の語彙(地名、人名等)も原則としてパーリ語(一部タイ語)のカタカナ転写とするため、わが国の仏教で使用されるサンスクリット語の転写とは似て非なるものがあることをお断りしておきます。

ではまた、あとがきで——
*文中・敬称略。

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『ブッダのお弟子さん にっぽん哀楽遊行 タイ発――奈良や京都へ〈影〉ふたつ』
笹倉明・著 ¥1,980 (税込)

「何かと失敗や間違いの多かった人生に、その終盤に生半可、ではない決意が私には必要だった」。60代後半にタイで出家した直木賞作家に何が起こったのか…本書は、著者がタイ国、チェンマイの古寺にて出家して1年が経つ頃と、それからさらに1年半余りが経過した頃、寺の副住職と連れ立って日本を旅した記録であるとともに、生き直しへの決意表明でもある。
古希の老僧(著者)と35歳のマザコン副住職のけなげで可笑しい珍道中は、文化や国民性、道徳観の違いが分かる「仏教文化エッセイ」といえよう。満員電車に戸惑い、街では女性を避けて歩き、東京タワーや新幹線にビックリ。東大寺や増上寺でご本尊に五体投地…タイ仏教の経文や戒律が日本仏教とは大きく違うことが読み通すことでよく分かる。全体にちりばめられた筆者の心境は印象に残る。母の生家でのタイ仏教式の追善供養のシーンは感動的。
後悔、悲歎、絶望ののちに出家。そしてこれからの人生をどうするのか――新鮮な「団塊の世代」論ともなっている。

笹倉明
1948年兵庫県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒。80年『海を越えた者たち』(すばる文学賞入選)で作家活動へ。88年『漂流裁判』でサントリーミステリー大賞、89年『遠い国からの殺人者』で直木賞(第101回)を受賞する。 主な作品に、『東京難民事件』『海に帰ったポクサー昭和のチャンプ たこ八郎物語(「昭和のチャンプ たこ八郎物語」改題)』<電子書籍>『にっぽん国恋愛事件』『砂漠の岸に咲け』『女たちの海峡』『旅人岬』『推定有罪』『愛をゆく舟』『雪の旅―映画「新雪国」始末記』<電子書籍>』『復権 ―池永正明三十五年間の沈黙の真相』『愛闇殺』『彼に言えなかった哀しみ』等。近著に『出家への道―苦の果てに出逢ったタイ仏教』(幻冬舎新書)、『ブッダの教えが味方する歯の二大病を滅ぼす法』(共著 扶桑Books)『老僧が渡る 知恵と悟りへの海』(Web<つなごうネット>連載)、『山下財宝が暴く大戦史 ―旧日本軍は最期に何をしたのか』(育鵬社 復刻版)がある。2016年チェンマイの古寺にて出家し現在に至る。
(※略歴は刊行時のものです)

【目次】
まえがき
第一旅 アーチャーラ・コーチャラの奈良、京都、そして
第二旅 アニッチャー・アナッターの旅跡――東京から海へ
あとがき

ISBN:9784333029112
出版社:佼成出版社
発売日:2023/11/30