『『永平広録』「上堂語・小参」全訳注(上・下巻)』
筆者は平成二十七年(二〇一五)に、本書の出版元・佼成出版社から『『正法眼蔵』全巻解読』と題する一書を上梓した。それは、道元の主著とされる『正法眼蔵』の中で、真撰であることがほぼ確かな「七十五巻本」と「十二巻本」に含まれる諸巻、及び、それらには含まれない「菩提薩捶四摂法」「法華転法華」の二巻について、歴史的な位相を確認した上で、各巻を概観し、それらの要点を押さえつつ、解読を試みたものである。
幸いにも、同書は多くの方からご好評をいただいた。そこで当初は、その姉妹編として、『永平広録』(道元和尚広録)の全体を自分なりに「解読」する著作の刊行を構想した。けれども、『永平広録』全体に目を通していくうちに、次第に気持ちが変わってきた。というのは、そもそも『永平広録』に含まれる諸著作は、「広録」という言葉からも窺えるように、著述の意図も、質的レベルの浅深も、また、想定される聞き手・読み手もさまざまであり、しかも全体では膨大な分量になる。このことに鑑み、道元思想の特質を知る上で、『正法眼蔵』と並んでとくに重要なものに絞って解明を試みることに方針を改めた。その結果、今回取り上げることにしたのが、道元が興聖寺を開いた後、没年まで折々に法堂に上り、弟子たちに対して行った説法、すなわち上堂語と、自らの居室においてややくだけた形で臨時的に行った説法、すなわち、小参の講説という二つのグループである。
なお、『永平広録』の名称と編者、全体の構成とその概要、テキストの種類など、書誌学的性格については、別掲の「解題」の項を参照されたい。
こうして、まず、それらの理解に役立つ研究書探しを始めた。とくに、それらの「解読」に挑戦するために何よりも大事なことは、それらを正しく読んで正しく理解することであるから、できるだけ正確な現代語への翻訳書と、細部にまで注意を払った注釈書を見つけ出すことであった。その結果、別掲したように、さまざまな点で有益な指摘や解釈を展開していて、参考にさせてもらった研究書は少なくなかった。けれども、僭越ながら、筆者が全体的にそのまま信頼し依拠してよいと判断できる当該の翻訳書・注釈書を見出すことはできなかった。そのために今回は、「解読」に先行して、「どこまで自分にできるか」という不安を抱えながらも、それらの「訳注」を試みることにした次第である。
なお、本書における現代語訳は、専門的な研究者のみならず、関心を抱かれる多くの方々に読んでいただけることを願い、できる限りの正確さと明解さを心がけた。そのために、現代的な倫理観に照らせば差別的とも見られかねない譬喩的表現もわずかながら原文の中に見出せるが、それらについても同様の方針で訳出を試みる。読者諸氏には、この点をご理解くださり、道元の真意を読み取っていただきたいと切望する。
ところで、概括的にいえば、これまでの道元思想研究は『正法眼蔵』の解釈と、その思想的意義の探求を中心とするものであった。確かに、哲学的側面に限れば、道元が綿密かつ充実した形で思索を展開したのは、ほぼ三十歳代の初めから四十歳代中頃までであり、その結果がおおむね『正法眼蔵』の説示に表れていると見ることはできよう。しかしながら、かれの思想の全容が『正法眼蔵』に開示し尽くされているわけではない。
前著『『正法眼蔵』全巻解読』の「序説」でも触れたが、『正法眼蔵』の諸巻として後にまとめられたもののほとんどは、示衆(門下の修行僧に対する説示)である。しかも、その示衆は、大仏寺を永平寺と改めて上堂の儀式を勤める道元四十七歳の寛元四年(一二四六)九月の「出家」の巻を最後にほぼ途絶える。唯一の例外は、建長二年(一二五〇)一月に、「洗面」の巻が三度目の示衆として説かれたことがあるのみである。寛元四年以降は、『正法眼蔵』の示衆に代わって、上堂に伴う説法、すなわち、上堂語が急増していく。この事実があることを忘れてはならない。
上堂して行う説法は、いわば仏祖に準じるものである。住持は、「これが仏法である」と信じるものをそのまま聞き手の大衆にストレートにぶつけることができるし、むしろそうするのが望ましいであろう。もちろん道元は、この説法を天福元年(一二三三)の興聖寺開堂以降、折々に行ってきたはずである。だが、記録によれば、その時から七年目の仁治元年(一二四〇)までの上堂の回数は、全部で三十一回、あるいは三十二回にすぎない。以後は、一年間に数回から五十数回と、年によって大きな違いがある。ところが、寛元四年(一二四六)における道元の上堂は七十回を超え、鎌倉に赴いた翌宝治元年(一二四七)の上堂数も、合計三十数回である。その後、建長四年(一二五二)の秋には病の床に臥したが、この年まで毎年、五十回を超える上堂を行っている。圧倒されるほどの回数である。思うに、道元はこの時期、全身全霊をかけて上堂し、説法を行ったのである。このことだけからも、上堂語の解明、とくに寛元四年以後におけるその解明は、道元の思想を全体として理解するためには、欠くことができない学的作業であることが知られよう。
以上に述べたように、本書では、『永平広録』に収められる、興聖寺時代から行われてきた上堂語と、これに密接に関連する小参の説示のすべてに表れる道元の思想を明らかにすることを目指す。そしてそのために、できる限り正確にそれらを現代語訳するとともに、道元思想の深層を探り、また、禅思想史上、ないし仏教思想史上における道元の位置とその特質を浮き彫りにする上で必要と思われる注釈を加えたいと思う。読者の皆さんが、八百年の時を超えて道元の膝下に坐し、直にその説法を聴いている感覚を少しでも共有していただけたら、これに過ぎる悦びはない。
因みに、本書の下巻には、その注釈を補うために、道元の思想形成に関わる仏祖の「法系図」を付す。これは、菅沼晃編『道元辞典』(昭和五十二年(一九七七)、東京堂出版)に添付された「禅宗法系図」に挙げられた法系図を、道元思想との関連性という観点から補充する形で作成したものである。記して、同辞典の刊行に関わられた諸氏に謝意を表したい。
また、道元の生涯にわたる歩みとその間に残した主な事績についても、時折、参照していただく必要があるだろう。そこで、前記の拙著『『正法眼蔵』全巻解読』の巻末に挙げた「道元年譜」(参考事項を含む)を若干補足する形で再掲載させてもらうことにした。
正法の究明と宣布に一身を捧げた道元。その道元が結局のところ伝えたかったことは何なのか。読者の皆さんにとって、本書がこの問いに答えるための一助となることを心から願っている。
令和五年(二〇二三)一月十一日
木村清孝 記
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『『永平広録』「上堂語・小参」全訳注(上)』
『『永平広録』「上堂語・小参」全訳注(下)』
木村清孝・著 各¥4,180 (税込)
道元(1200-1253)の思想的全体像を知るためには、その主著『正法眼蔵』とともに説法や法話を集めた語録『永平広録』の読解が不可欠である。
本書は『永平広録』の原漢文・現代語訳文・訳註からなり、上巻は巻第1から巻第4までを収載する。下巻は巻第5から巻第8(小参)までを収載しています。
下巻末に道元年譜・道元関連禅宗法系図が付いています。
木村 清孝(きむら きよたか)
1940年、熊本県に生まれる。東京教育大学文学部哲学科倫理学専攻卒業、東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専門課程博士課程単位取得退学。文学博士(東京大学)。専攻は中国華厳思想、東アジア仏教思想。東大教授などを経て現在、東大名誉教授、曹洞宗龍宝寺(北海道函館市)住職などを務める。おもな著書に『初期中国華厳思想の研究』(春秋社)、『中国華厳思想史』(平楽寺書店)、『「正法眼蔵」全巻解読』などがある。
(※略歴は刊行時のものです)
【目次】
上巻:
序 言
凡 例
解 題
道元和尚広録第一 開闢本京宇治郡興聖禅寺語録
道元和尚広録第二 開闢越州吉祥山大仏寺語録
道元和尚広録第三 永平禅寺語録
道元和尚広録第四 永平禅寺語録
下巻:
凡 例
道元和尚広録第五 永平禅寺語録
道元和尚広録第六 永平禅寺語録
道元和尚広録第七 永平禅寺語録
道元和尚広録第八 越州永平禅寺玄和尚小参
あとがき
『永平広録』主要参考文献一覧
道元年譜
道元関連禅宗法系図
上巻
ISBN:9784333028948
出版社:佼成出版社
発売日:2023/02/28
下巻
ISBN:9784333028955
出版社:佼成出版社
発売日:2023/05/30