『坐らぬ禅』

 

作品に込めた著者の思いや、執筆の動機が綴られた「はじめに」「まえがき」「プロローグ」などを「本のいとぐち」として紹介します。

 

まえがき


本書は、読者を禅の世界へ案内するガイド・ブック(案内書)です。

最初にお断りしておきますが、わたしは禅の世界の住人ではありません。まあ、何十回、何百回と禅の世界を旅した経験のある旅行者ではありますが、その世界の住民権を持っている人間ではありません。

しかし、我田引水的に言わせていただくなら、ガイド・ブックというものは外国人が書いたもののほうが役に立ちそうです。たとえばインド旅行の案内書などは、あんがいインド人が書いたものは日本人の役に立ちません。そりゃあインド人がインドについて書くのだから、言っている内容にまちがいはありません。けれどもインド人は、日本人がインドについてどういうことを知りたいのか、あまりよく分かっていないのです。それで、日本人にとってはどうでもいいことをくだくだと解説し、日本人がちょっと知りたいことに言及していなかったりすることがあります。だから日本人のためのインドの案内書は、インド人よりもむしろ日本人が書いたもののほうが役に立ちそうです。

それと同じで、禅の世界への案内書は、むしろ禅の世界の住人が書いたものより、わたしのような禅の素人が書いたもののほうが分かりやすく、役に立つと思います。

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それから、これはちょっと言いにくいことなんですが、わたしはあまり禅というものが好きではありません。いや、正坐することすら苦痛なんです。だからわたしは、禅寺において正式に坐禅をしたことがありません。

それ故、わたしは、本書においては、

坐らぬ禅―

を提唱しようと思っています。そんなことを言えば、禅のお坊さんからどやしつけられますが、でもわたしは、自分が言っていることがそれほどまちがっているとは思いません。なぜなら行(ぎょう)・住(じゅう)・坐(ざ)・臥(が)、つまり行く(歩く)も住むも、坐るも臥(ふ)すも、すべてが禅であり、禅でなければなりません。生活そのものが禅なんです。この点の詳しいことは本論で述べますが、したがってわたしたちが食べる行為も禅であり、読書をするのも禅であり、糞をするのも禅であります。ただ禅寺に行って坐禅をすることだけが禅ではないのです。

だからわたしは、毎日の生活のなかでしっかりと禅を行じていきたいと考えています。

これはちょっと悪口になるのですが、禅僧(禅の世界の住人)のうちには、禅堂においては立派でほれぼれするような禅僧も、たとえば酒席においてはおかしな振る舞いをなさる方が大勢いらっしゃいます。もっとも、わたし自身が酒席においてそれほど立派ではないのですが、そのわたしからして眉を顰ひそめたくなる方がおいでになるのです。それじゃあ何のための禅かと思いますね。ただ禅のテクニック(技巧)だけではダメなんです。わたしたちが禅を学ぶのは、この苦しみの人生をどう生きればよいか、その示唆を得るためですよね。わたしはそう考えます。

それ故、わたしは、わざわざ禅寺に行って坐禅をしなくとも、サラリーマンが日常の勤務の中で、通勤電車の中で、ベッドの上で、気軽に学べる禅―坐らぬ禅を考えています。読者は禅の考え方、禅の教え、禅の示唆するところを学び、それを日常生活に活かしてください。本書はそのためのものです。 

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坐らぬ禅
ひろさちや・著 ¥1,980 (税込)

没後仕事場からみつかった「絶筆」作品。本書は「禅の世界へ案内するガイド・ブック(案内書)。禅の世界への案内書は、むしろ禅の世界の住人が書いたものより、わたしのような禅の素人が書いたもののほうが分かりやすく、役に立つと思います」といったスタンスで展開する。
高みから講釈する「禅の達人」ではない「禅の素人」の筆者が遺した「禅は、馬鹿になるな! 阿呆になれ! と教えています」というメッセージに学びたい。「第Ⅱ部 禅僧列伝」における、語録・著作の真髄を嚙み砕いての訳と解説は読みごたえあり、「ひろ流高僧伝」と言えよう。

ひろさちや
一九三六年(昭和十一年)、大阪市に生まれる。東京大学文学部印度哲学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専攻博士課程修了。一九六五年から二十年間、気象大学校教授をつとめる。退職後、仏教をはじめとする宗教の解説書から、仏教的な生き方を綴るエッセイまで幅広く執筆するとともに、全国各地で講演活動をおこなう。厖大かつ多様で難解な仏教の教えを、逆説やユーモアを駆使して表現される筆致や語り口は、年齢・性別を超えて好評を博する。二〇二二年(令和四年)、逝去。 
おもな著書に、『仏教の歴史(全十巻)』『釈迦』『仏陀』『大乗仏教の真実』『ひろさちやのいきいき人生(全五巻)』(以上春秋社)、『お念仏とは何か』『禅がわかる本』(以上新潮選書)、『生き方、ちょっと変えてみよう』『のんびり、ゆったり、ほどほどに』『インド仏教思想史(上下巻)』『〈法華経〉の世界』『法華経日本語訳』『〈法華経〉の真実』(以上佼成出版社)などがある。 
(※略歴は刊行時のものです)

【目次】
まえがき
第Ⅰ部 禅仏教とは何か?
第Ⅱ部 禅僧列伝
第Ⅲ部 終りと始め

ISBN:9784333028979
出版社:佼成出版社
発売日:2023/03/15