『釈尊の人間教育学』

 

作品に込めた著者の思いや、執筆の動機が綴られた「はじめに」「まえがき」「プロローグ」などを「本のいとぐち」として紹介します。

 

はじめに


仏教は、人間が人生、社会において「いかにあるか」「いかにあるべきか」を説くものです。したがって仏教は、人間存在のあり方とあるべき姿を問う、広い意味における人間学といえるでしょう。「いかにあるか」「いかにあるべきか」という問題を、仏教では縁起の道理として説き、この道理を法(ダンマ、ダルマ)といいます。

後に詳述しますが、この縁起には価値観を含まず「いかにあるか」を原理的に示す一般的縁起と、善悪や凡聖(迷悟)などの価値観を含む価値的縁起があります。この価値的縁起はさらに二つに分けられ、価値や理想に対してマイナスのものを流転縁起、プラスのものを還滅縁起といいます。「流転」とは凡夫が迷いの世界をさまようことであり、「還滅」とは煩悩を滅して理想にいたることであります。 

この還滅縁起が「いかにあるべきか」を説くもので、理想を追求する縁起の道理と、理想実現の方法とを合理的に説き示すものです。この還滅縁起が仏教の教えの根幹であります。

仏教ではこの「いかにあるべきか」という問いに対して、人間としての人格の完成、究極の悟りを説きます。そして人格の完成へと導く〝道すじ〟が、仏教の指導法でもあり、修行法でもあるのです。これが仏教の実践的な人間学であり、現代教育のあり方と深く関わる接点です。 

現代の教育が、単に学問を教えるだけでなく、人間としてのあり方をも説くものであるとすれば、また、学校教育という枠にとどまらず、家庭教育や社会教育などを含むものであるならば、それは仏教の人間学に非常に近いものであります。釈尊の教えは、どうしたら煩悩を滅して悟りの道に入ることができるかについて、直接的に弟子や一般の人びとに対して説かれたものであり、その教えの中に釈尊の人間観、世界観に基づいた人間教育をみることができます。

釈尊は、十大弟子といわれるような今でいうエリート学生ばかりを育てたのではなく、人間としての愛欲や怒り、悩み苦しみに日々焦がれるような人びとの心に、涼風を注ぎ、癒しを与えたのであります。

私は教育の専門家ではありません。しかし、現代の教育の諸問題に対して、釈尊の教育手法を見直すことが、打開策のひとつとなるのではないかと思い、本書を上梓しました。本書は、釈尊の教化、教育の中から人間教育のエッセンスを抽出し、その教育手法を分析して解説し、混迷する現代教育の一助としていただきたいと願うものであります。また、釈尊は人間という存在をどうみていたのか、人びとを理想をめざす道に入れるにはどう指導したらいいのかということについて、学問的にも正確に、できるだけ分かりやすいように微力を尽くしたつもりです。

私は今日まで、パーリ語やパーリ仏教を中心として仏教学の研究を続けてきました。このパーリ仏教とは、今日のスリランカ、ミャンマー、タイ等に普及した南方仏教(南伝仏教)です。この仏教は、仏教の根本聖典としての経・律・論の三蔵をはじめ、その文献のすべてがインド語(梵語・パーリ語を含むすべてのインド・アーリア語の総称)の一種であるパーリ語で伝えられ、阿含経などの根本聖典は、紀元前三世紀のものが一部の残欠もなく、完全に伝えられています。このように古く、かつ揃っている根本聖典は、他のインド語の仏典にも、漢訳やチベット訳にも全くありません。

元来、仏教の開祖である釈尊は、自ら活躍されたガンジス河中流地域のマガダ国やコーサラ国で民衆に教えを説くのに、その地方の日常の民衆語であるマガダ語で説法されました。当時は正統バラモン教が用いていた高級な梵語(サンスクリット語)がありましたが、それは上層階級の人だけしか理解できない言葉であって、すべての階層の人に理解してもらうためには、その地域の民衆の日常用語を用いる必要があったのです。

そのため、釈尊は弟子たちに対しても、教えを説くにあたってはその土地の民衆語を使うベきであって、梵語で教えを説いてはならないとされました。そこで諸地方からきて、故郷に帰った釈尊の弟子たちは、各自の民衆語で教えを普及しました。

釈尊入滅後、仏教がインド諸地域に展開するようになり、十八部といわれるような部派に分かれると、その部派の聖典は、部派の根拠地の民衆語で伝えられるようになりました。

パーリ語というのは聖典語という意味を持っていますが、上座部という部派の中心地であった西部インド地域の民衆語に由来する言語で、中には釈尊をしのぶためか、釈尊が用いられたマガダ語の特徴も多少含まれ、主体は西方インドの民衆語に近いものです。

パーリ語の聖典は、紀元前三世紀のアショーカ(阿育)王の時代に、インドからスリランカへ上座部という部派によって伝えられ、それが伝えられたままのかたちで今日にいたっています。したがってスリランカに伝えられてからは、この部派の聖典は、インド本土の他部派からの影響や改変を受けることなく、古いままで純粋に伝えられたものと考えられるのです。

パーリ語やパーリ仏教については、日本では明治以前には全く知られていませんでした。西洋では、パーリ語の研究が、スリランカが英領となった十九世紀初頭から始められ、日本には十九世紀末に近い明治の中期に、イギリスやドイツ、スリランカから入ってきました。

このように日本では、明治時代から梵語やパーリ語などのインド語の仏典をも加えて、新しい仏教研究が始まりました。パーリ語の聖典類は『南伝大蔵経』として、六十五巻七十冊が第二次大戦以前の昭和十二年に、六年余をかけて出版され、パーリ聖典のすべてと重要な網要書・史書などが日本語に訳出されました。それによって、パーリ語を全く知らない人でも、南方仏教の聖典を自由に読むことができ、そこに説かれている教えが、いかなるものであるかを容易に知ることができるようになりました。

私は旧制中学時代から、宗門の学校で仏教を学びましたが、それは漢訳仏典による伝統的なものでした。東京大学の印度哲学科に入って、パーリ語や梵語による仏教研究が盛んになっていることを初めて知り、大いに驚きました。その中でパーリ語やパーリ仏教に興味を持ち、それを中心として研究を続け、今日にいたっています。

そして現存するインド語や漢訳の仏典について、釈尊の説法などが集められている阿含経や律蔵などを比較検討し、他の学者の研究をも参照してみると、完全な資料を残しているパーリ仏典の記述や学説が、他の漢訳等のものよりも古くて、純粋なものであることが分かりました。また大乗仏教として説かれている教えも、その基本的なものはほとんどすべて、パーリ仏典などにある仏教の中心思想としての釈尊の教えに由来するものであることを知りました。

このように初期仏教以来、仏教の根本とされた教えの内容は、大乗仏教でも継承されて、それが中国から日本へも伝わったのであります。日本では、奈良時代には中国や韓国の学問仏教が、平安時代には学問とともに護国祈禱などの独自の立場も発生しましたが、これらは上層階級を主とした仏教でありました。それが鎌倉時代になると、一般民衆の信仰として仏教が普及し、念仏や題目などによって救われるという念仏宗や法華宗、禅宗が興りましたが、それらの宗派の開祖たちは、詳細綿密な教理学説と深い体験をもって民衆を教化したのであります。したがって一般民衆の信仰も、鎌倉仏教の開祖たちの正しい学説や体験に基づくものであります。

本書は、この仏教の原点ともいえるパーリ仏教から諸事例を引用し、すべての仏教に共通する根本的立場を記したものです。釈尊の教化のあり方を、できるだけ人間的に伝えるようにしました。仏教の学説を理論のみにとどまらず、現実に役立たせることができてこそ、仏教の人間学の役割が果たせることになるかと思います。

なお、本書には厳密さを期すために、多少専門的な用語や固有名詞(人名は尊称略)などを加えましたが、説明文などでなるべく分かりやすく読んでいただこうと構成してみました。そして巻末には、同一用語が異なった原語に由来して、異なった意味を持つもの、専門家でも誤りやすいものだけについて説明しておきました。本書の内容は幾分、専門的にもなりましたが、仏教を人間学として、また人間教育学として、皆さまに活用していただけたら望外の喜びであります。 

平成六年五月

著者 水野弘元 

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釈尊の人間教育学
水野弘元 ・著 ¥1,923 (税込)

仏教の碩学が釈尊とのダイアローグからひもとく、人間教育のエッセンス。仏教の原点ともいえるパーリ仏教から諸事例を引用しながら、釈尊の教化のあり方を具体的に説く。人を導き、育てるための人間教育学。

水野 弘元 
1901年佐賀県生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学名誉教授。著書に「釈尊の生涯と思想」「経典」「仏教要語の基礎知識」「仏教の基礎知識」「釈尊の生涯」など。

【目次】
はじめに 
第一章——教育の目的と仏教 
第二章——「法」とは何か 
第三章——指導者の教え 
第四章——人間教育の目標 
第五章——「観」の教育 
第六章——四つの教育段階 
第七章——教育者の眼 
第八章——「育てる」ということ 
第九章——方便と譬喩の教え  
第十章——「仏性」を観る 
第十一章——修道の教え 
付記——語句解説 

ISBN:9784333017027
出版社:佼成出版社
発売日:1994/7/5