『座標軸としての仏教学』

 

作品に込めた著者の思いや、執筆の動機が綴られた「はじめに」「まえがき」「プロローグ」などを「本のいとぐち」として紹介します。

 

まえがき


二〇〇八年夏。この原稿をスリランカで書くはずだった。私は東南アジア諸国が伝える上座仏教(パーリ仏教)を研究していて、前年の秋からケラニヤ大学パーリ学仏教学大学院というところに客員研究員として留学していたのである。ところが、夏前に突如、予定を早めて帰国しなければならなくなってしまった。それは両親の介護問題に向き合わざるを得なくなったためであり、またスリランカで激化している無差別テロの危険をさけるためでもあった。

スリランカは、仏教徒が多いシンハラ人中心の政府によるシンハラ中心主義への反発から、ヒンドゥー教徒のタミール人の一部が島の北部を拠点に分離独立を求め、武装組織を作って政府軍との戦闘を繰り返している。反政府組織は、報復手段として首都コロンボで無差別テロを起こす。駅や路線バスはもちろん、道路の花壇にまで爆弾がしかけられ、通行人に死傷者が出る始末。これまで双方合わせて約七万人の犠牲者が出ているという。

その年の四月、一人の大臣がテロの犠牲で亡くなった。地元テレビは一日中それまでの紛争の歴史を流していた。そのなかには路上にほったらかしにされ、お腹から下が吹っ飛んでしまったテロ犯人の姿や、校舎の床にごろごろ並べられたハエのたかった子供の死体もあった。ぼかしやモザイクなしで、である。日本では絶対、画面にお目にかからない映像だ。留学前はどこにいても死ぬときは死ぬんだからと割り切り、行ってからもテロに遭う確率なんて日本で三億円宝くじに当たるくらいのもの、とタカをくくっていた。しかし、そんな甘い考えはいっペんに吹っ飛んだ。「この国では死にたくない」と思った。

急にこわくなった。こんなことを考えるなんて「わたし、ひょっとしたら危ないんじゃないか」という予感がした。死ぬのはいいが変な死に方はいや、というのは結局、心の奥底では「生きていたい」のだ。しかも自分は死なないなんて保証はない。行ってすぐデング熱(蚊が媒介するウイルスによって高熱が出る病気)にもかかった。それまでに三回くらいしか蚊に刺されていないのに、である。三九度近い高熱でふらふらしながらネット検索すると、根本的な治療薬はない。致死率は一パーセントぐらいとでていた。テロにせよ病気にせよ、全体の確率なんて問題じゃない。本人にとって確率は常に一分の一。いつかはわからないが、死ぬ確率は百パーセントである。死が急に身近に感じられた。

釈尊は、生老病死を免れないこの生存を苦であるとみて、輪廻の世界から解脱するように、人々に出家を勧められた。出家した者は修行に打ち込み、世俗社会と一定の距離をおいた。ところが、最近、僧侶の社会参加ということが盛んにいわれる。出家者が社会に関わり人々を救済すべきと考えられるようになったのは、大乗仏教の影響であろう。大乗仏教国の日本では、僧侶は菩薩僧として、社会に貢献することが求められる。現在では上座仏教国においても出家者が国家や社会に積極的に関与し、国家事業の一翼を担っていたりする。

大乗は「誰でもの菩薩」を説くといわれる。これは在家でも出家でも男女貧富貴賤を問わず、悟りを求めて六波羅蜜を行じる者は菩薩であるという思想である。六波羅蜜行の最初は布施であり、自利よりも利他行に精を出さねばならない。それもほとんど永遠に近い長い年月、菩薩行を続け輪廻の中にとどまらねばならない。しかし、そもそも菩薩というのは、釈尊の時代にはなかった概念である。菩薩の理想像として、釈尊の前生物語を例に引かれることが多いが、あれは創作された物語である。物語と事実をごちゃまぜにしてはいけない。

二五〇〇年前のインドとは、社会も風土もまったく異なる現代日本で、仏教徒はいったいどう生きればいいのか。自分自身への問いかけの意味もあって、原始仏教から大乗仏教、さらに東南アジアに広がった仏教、そして日本仏教の伝来から現代まで、大づかみに、俯瞰して見てみたいと思った。それだけ時間的にも空間的にも広範囲の内容を扱うとなると、大変であるが、いったん決めたからにはあと戻りできない。専門外の分野のにわか勉強が始まった。

私自身は、日本仏教、特に親鸞の教えから仏教に縁ができ、その後、天台宗で得度し、中国天台を学び、さらにインド仏教と、どんどん過去へ過去へ、釈尊の仏教へとさかのぼっていった。しかし釈尊の直説はそのままの形では残ってはいない。それを知りたいと思うと、部派の伝えた文献から探り当てるしかない。そのうちに、紀元後五世紀以後に書かれたパーリ註釈書に仏教の本当の歴史を探るヒントが隠されていることがわかり、いまはそれを研究している。小乗と考えられている上座仏教に大乗に通じる思想がみられるのはなぜか、その謎を解きたいというのが夢なのだ(それでスリランカに行ったわけである)。

仏教は勉強すればするほどわからなくなる。じつに奥が深く、幅広い。ひと言で「これが仏教」なんていえない。さらに伝播した国々で様々に変容している。現実には「あれも仏教、これも仏教」である。なかには互いに相反するような教義もある。釈尊時代の仏教だけを仏教と認め(それも全容はわからない)、変容した形の仏教を否定的にとらえる向きもある。私も一時はそうであった。しかし、学問としてはそれでよくても、お坊さんとしてはどうなんだろうと、近頃そう思うようになった。現代に活かせないとなると、なんのための仏教かなぁとも思う。

人はそれぞれ置かれた立場や環境が違う。「こうあるべき」といったら、それができない人はどうなるんだということになる。これだけが正しいと主張するところから、争いが生まれる。それぞれの人にとっての仏教は異なっていていい。だが、世の中には社会に害を及ぼす類の「仏教」もけっこうある。じつは私利私欲を満たすことが目的の個人や団体も仏教を標榜していたりする。始末がわるいのは、その本人または信者があくまでも善意で「自分の信じる仏教」を他人に押し付けることである。仏教では貪(とん)瞋(じん)痴(ち)を三(さん)毒(どく)とする。愚かなことも煩悩の一つ。多様化した仏教のなかで、自分の信じる仏教が、仏教世界のどこに位置するのか座標軸上での位置を確認することも大事であろう。その資料を提供したいと考えた。

この本を書かせていただくことになったのは、同じ佼成出版社の『現代と仏教』という共著の本で私が「俗世間において出世間的に生きる」という題で短い論攷を発表させていただいたことがきっかけである。その中で在家出身の私がどうして出家したのか、そして日本で僧侶(いちおう尼さん。でもお寺に住んではいない)として生きる難しさ、在家から入った者が感じる仏教の現在のあり方への疑問を率直に書いた。お坊さんの世界の中心にいる者には書けないことも書いた。こんな暴露本を書いて大丈夫? と心配してくれた人もいたが、大丈夫であった。「仏教はこのままでいいのか」という思いは、これからお寺を背負って立つことになる若いお坊さんたちほど切実かもしれない。今度は単行本で、という有り難い話をいただいた。

企画段階で、編集者の大室英暁さん(曹洞宗のお坊さんでもある)との会話のなかから、「半歩先」がキーワードになった。あとからメールでこう返事を書いた――現代日本において、釈尊の精神を生かしながら修行者として生きるのは、出家者(僧侶)になるのでも特定の宗教団体の在家信者になるのでもない、「半歩先」の行き方がまっとうで穏やかで、人間として幸せに生きられる道だと思います。半歩先は「いい加減」です。いい意味で。半歩踏み出そうとする人の修行道を模索してみたいと思います――と。すると不思議なことに、この原稿を書いている間、正確にいうと、二〇〇八年の年末から翌年二月にかけて、現実のほうが思いもかけぬ方向にどんどん展開して、私自身のこれからの生きる道がはっきり見えてきた。何かに背中を押されているような、大きな渦に巻き込まれていくような、そんな感じであった。それで後半は書く内容がどんどん変わっていった。全体の見直し書き直しで、二、三回締め切りを延ばしてもらい、タイトルも二転三転し、やっと決まった。

この「座標軸…」のタイトルは、書き直した私の前書きをもとに大室さんが考えて下さったのである。大室さんには大変お世話になった。締め切り重視でとりあえず出した一回目の原稿に、的確な意見や鋭い質問をいただき、それに応えようと書き直すうちに、わかりやすく面白い原稿になった、と思う。最終校正のために休日返上で京都に来られたとき、非常に丁寧にチェックしていただいた原稿を見て、本当に頭が下がった。この本は大室さんとの出会いがなければ生まれなかったはずである。その最初のきっかけを作ってくださったのが恩師の一人、佐々木閑先生である。

「京都に来たのに、佐々木先生にお目にかからないで帰るのは、ちょっと心残りで……」と、ぽそっといわれた大室さんの一言から、たまたま花園大学の研究室におられた佐々木先生をお訪ねすることになり、とんとん拍子で、佐々木先生に帯のキャッチコピーを作っていただけることになった。本当に有り難い。

そこで、これまで出会って、特に影響を受けた方々については各章の最初に、リードコラムの形で、感謝の意を込めてエピソードを書かせていただいた。一部の方にはご本人の了解を得ずにお名前をあげさせていただいた。どうかお許しいただきたい。縁あって出会うことのできたすべての皆様に心からの感謝を申し上げたい。

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座標軸としての仏教学 パーリ学僧と探す「わたしの仏教」
勝本華蓮 ・著 ¥1,760 (税込)

思想と信仰との間で我々は何を規範とし、何を選択するのか。気鋭のパーリ語仏教文献学者が探る。
2500年の歴史をもつ仏教の特徴は「多様性」にあるといわれます。著者自身も、在家に生まれて広告会社を起業したのち、浄土信仰や『法華経』に親しみ、天台宗での得度を経て、現在はパーリ仏教の研究者として活躍中です。本書は、著者が自身の信仰遍歴と研究に基づいて、原始仏教―インド大乗仏教、中国仏教、日本の仏教導入期から現代の宗派仏教までをやさしく解説します。読者一人ひとりが「自分の仏教」をつかみとれる仏教書。

勝本華蓮
1955年(昭和30年)、大阪府に生まれる。1991年に天台宗青蓮院門跡にて得度。佛教大学文学部仏教学科卒業、京都大学大学院文学研究科文献文化学専攻博士課程単位取得退学。博士(文学・花園大学)。専攻はインド仏教学、パーリ学。花園大学非常勤講師、叡山学院専任講師、天台宗教学財団特別研究者、姫路市立生涯学習大学校講師、スリランカ国立ケラニヤ大学パーリ学仏教学大学院客員研究員等を経て現在、東方学院講師を務め、執筆を中心に活動。著書に『チャリヤーピタカ註釈――パーリ原典全訳』(国際仏教徒協会、2007年)、主な論文に「菩薩と菩薩信仰」(『大乗仏教の実践――シリーズ大乗仏教3』所収、春秋社、2011年)等のほか、研究論文を多数執筆。また最近は、『尼さんはつらいよ』(新潮新書、2012年)など、一般向けの仏教書の執筆や雑誌等への寄稿も多い。
(※略歴は刊行時のものです)

【目次】
まえがき
第一章 もとはといえば〈覚りの仏教〉
第二章 うまずたゆまず〈解脱への修行道〉
第三章 あいまいもこ〈小乗と大乗の境界〉
第四章 よりどりみどり〈大乗仏教の教義〉
第五章 めぐりめぐって〈東南アジアの仏教〉
第六章 つまるところ〈日本の仏教〉
第七章 なにはともあれ〈日本仏教の変容〉
第八章 ひととおりでない〈仏教の実践〉
あとがき
参考文献
索引

ISBN:9784333023806
出版社:佼成出版社
発売日:2009/5/30