意外と知らない「仏教のどうして?」|(5)どうして、たくさんの仏さまがいるの?

 

お釈迦さまの教えやすばらしさを仏像で表現

 

今まで、どこのお寺にお参りしたことがありますか?

奈良の大仏さんでしょうか、鎌倉の大仏さんでしょうか。京都・清水の観音さまも有名です。京都の東寺には、お不動さんもいました。柴又の帝釈天もあります。話しだしたら止まりませんよね。

で、名前の下には「如来」や「菩薩」「明王」だったり、「〜天」とつくことがあります。「さん」や「さま」は、単に親しみを込めて言っただけです。

「仏」とは「悟りをひらいた人」のことで、仏教ではまずはお釈迦さまのことです。仏像では釈迦如来です。〜如来と呼ばれている仏像はほかにもいます。阿弥陀如来・薬師如来・大日如来などです。奈良の大仏さまは盧舎那仏(るしゃなぶつ)のことで、如来クループです。厳密にいえば、この如来グループだけが「仏像」です。

しかし、私たちが「仏像」と言っているのは、「悟りをひらいた仏さまの像」だけではなく「仏に関する像すべて」のことです。整理すると、仏像は如来・菩薩・明王・天・その他の5つのグループに分けることができます。

次のイラストを見てください。

 

(イラスト・村越英裕)

これらは、地位やランキングを表しているわけではありません。あくまで役割です。仏像は「さあ、一緒にお釈迦さまの教えを学びましょう」というシンボルでした。

しかし、いつの間にか、私たちは仏さまに手を合わせて「お願いをかなえてください」「いいことが来ますように」「助けてくださいよ」と要求をしはじめました。

仏教はこの要求に応えるため、仏さまの数も増やしていきました。

「病気を治したいです」「はい、薬師如来がうかがいます」
「死んだらよい世界へ往けますように」「はい、阿弥陀如来が導きます。安心してください」
「裕福な生活がしたいなあ」「はい、わたくし吉祥天が引き受けます」

なんでも引き受けていた観音さまは、二本の手では足りないため千本の手を持つ千手観音に変身してしまいました。というわけで仏さまの数は増え続けていきました。

仏教が日本に伝わったころ、日本では自然界の物すべてに神さまが宿っていると考えていました。山の神、海の神、川の神、木の神など八百万(やおよろず)の神です。神さまの数が多かったので、仏さまの数が多いのも受け入れることができたのでしょう。

仏像の数が多い理由は、人々のさまざまな願いや希望ごとに仏像が制作され、時に異教の神も取り込んでいったためです。

でもね、お願いするだけではいけません。お願いする仏さまに私たちがならなければなりません。本当は仏像のほうが、あなたに「お願い、私のようになって」と手を合わせているのです。

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村越英裕(むらこし・えいゆう)
臨済宗妙心寺派・龍雲寺住職、同派布教師。1957年静岡県沼津市生まれ。二松学舎大学大学院修士課程修了。龍澤寺僧堂に入門、中川宋淵老師・鈴木宗忠老師(ともに故人)に師事。「やさしく」「わかりやすく」「楽しく」をテーマに仏教全般、禅宗関係について執筆活動を行う。著書に『禅から学ぶこころの引き算』(同文舘出版)、『ほんとうは大事な「お葬式」』(大法輪閣)、『超訳こころの禅語』(佼成出版社)、執筆監修書に『仏像と仏教』『よくわかる日本の仏教』『日本の仏教と十三宗派』『親鸞と歎異抄』(ともに宝島社)など多数。

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