意外と知らない「仏教のどうして?」|(6)どうして、仏教にはたくさんの宗派があるの?

 

仏教はそれぞれの時代や国、人々の生活に合わせながら伝えられてきた

 

お釈迦さまが実際に教えを説かれたころは、修行者も信者も一つにまとまっていました。しかし、お釈迦さまが亡くなられると、

「私はこのようにお釈迦さまから聞きました」
「いやいや、違う、私はこのように学んだ」
「昔と同じままでは、教団は維持できないぞ」

など異なる意見がではじめ、グループが分かれていきます。これが宗派のはじまりです。

また、仏教の教えはお釈迦さまの弟子たちによってインドから各地へ広まっていきますが、国が違うと、ものの考え方や習慣などが異なります。同じ場所であっても、時代が変わると人の考え方も変化します。日本でも江戸時代と今では大きな違いがあります。

仏教はこれらの変化に対応することが得意でした。場合によっては、他の宗教の教えや思想を取り込むことだってできます。

仏教が生まれて400年くらい後の紀元前1世紀ころ、中国に仏教が伝わります。インドの言葉で書かれた経典がドッサリと大量に届きました。インドの言葉では意味がわからないので中国語に訳しました。それぞれの経典にはよいことが書かれているのですが、あれやこれやと訳し方も内容もバラバラです。

「それでは似たものを集めて整理整頓してみよう」

と経典をいくつかのグループに分けてみました。たとえば図書館の分類のような作業で、「歴史コーナー」「美術コーナー」「文学コーナー」のようなグループに分けました。このような分類から中国では13の宗派が生まれました。

(イラスト・村越英裕)

さて、中国あるいは朝鮮半島から仏教が日本に伝えられたのは、538年あるいは552年のことだといわれています。中国や日本の僧侶によって中国仏教が日本に伝わりますが、中国13宗派すべてが日本に伝えられたわけではありません。

当初、仏教の経典は学問として研究されました。その研究所が奈良県にある法隆寺や東大寺、薬師寺などです。平安時代に入ると日本人の僧侶が日本人の求める仏教を探しにいきます。最澄(さいちょう)が中国から伝えた天台宗や空海(くうかい)の真言宗です。その後、日本流の発展をしていきます。そして、鎌倉時代に入ると、

「もっと私たちにもわかる教えが欲しい」

という庶民の願いを聞いた僧侶たちが多くの宗派を誕生させます。中国(宋)へ渡った栄西(ようさい/えいさい)は臨済宗、道元(どうげん)は曹洞宗を伝えます。一方、天台宗に伝わった経典をベースに日本オリジナルの宗派を開く僧侶も登場します。法然(ほうねん)の浄土宗、日蓮(にちれん)の日蓮宗などです。

仏教はお釈迦さまの言葉や教えをそのまま伝えるのではなく、時代や国、人々の要望に応えながら変化したため、たくさんの宗派があります。

菩提寺がある方は、一応、何宗なのか確認してみましょう。 

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村越英裕(むらこし・えいゆう)
臨済宗妙心寺派・龍雲寺住職、同派布教師。1957年静岡県沼津市生まれ。二松学舎大学大学院修士課程修了。龍澤寺僧堂に入門、中川宋淵老師・鈴木宗忠老師(ともに故人)に師事。「やさしく」「わかりやすく」「楽しく」をテーマに仏教全般、禅宗関係について執筆活動を行う。著書に『禅から学ぶこころの引き算』(同文舘出版)、『ほんとうは大事な「お葬式」』(大法輪閣)、『超訳こころの禅語』(佼成出版社)、執筆監修書に『仏像と仏教』『よくわかる日本の仏教』『日本の仏教と十三宗派』『親鸞と歎異抄』(ともに宝島社)など多数。

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