意外と知らない「仏教のどうして?」|(9)どうして、人が亡くなるとお葬式をするの?

 

人は人の死に気づき涙を流し、そのままにできない

 

あなたには親しい人が亡くなった経験がありますか?

「どうして、亡くなったのだろうか。もっと、生きていて欲しかった」

あふれる涙は止まりません。この気持ちはどうしたらいいのでしょうか?

亡くなった方のことをあれこれと思いますが、泣いても亡くなった人が生き返ることはありません。そうこうしているうちに、「通夜と葬儀はどうするの?」と声がかかり、日程や会場などを決めなくてはなりません。

人が亡くなると必ず考えなくてはならないことがお葬式ですが、次のような役割があります。

残された遺族にとっては、悲しむ期間が必要です。亡くなったことを受け入れ、少しずつ普段の生活をとりもどすための出発点となる儀式がお葬式なのです。
まわりの人も、お葬式があることによって「○○さんは亡くなった」と知ることになります。

また、現代の日本では、市町村に許可をとり火葬にし、遺骨にします。

日本で行われるお葬式のおよそ8割から9割が仏式です。

仏式のお葬式には、末期(まつご)の水や通夜、葬儀、火葬、納骨などの儀式があります。末期の水は、「お釈迦さまが亡くなる前に喉が渇き、清らかな水を弟子が捧げることができたこと」、お通夜は「弟子や信者が夜通し、お釈迦さまについて語り合ったこと」、葬儀の儀式・火葬、納骨などは、お釈迦さまや弟子たちの意向によって行われたといわれています。

宗派によって読むお経や作法などに違いはありますが、現在の仏式のお葬式は、お釈迦さまの葬儀と同じような方法で行われます。そして、「生きているとき」「亡くなったとき」「死後の世界」の3つの時間が連続します。

「あちらの世界では、安心して楽しく過ごしてくださいね」
「私たちのことを見守ってくださいね」
「また、いつか会えるときまでがんばります」

などと手を合わせながら願います。ここに、親しい人を失ったことへの救いがあります。また、「ありがとう」「意思を受け継ぎます」などと改めて感謝することもできます。さらに、「いつかは、このように送って欲しい」と自分のお葬式を想像することもできます。だからこそ、「今を大切に生きなければならない」のです。

(イラスト・村越英裕)

お葬式は、「故人を仏にし」「遺族の心をケアし」「社会に死を知ってもらうため」「亡くなった方を遺骨にするため」に行われます。

結婚式の日は知らなくても、後から顔を見ることができますが、お葬式はできません。

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村越英裕(むらこし・えいゆう)
臨済宗妙心寺派・龍雲寺住職、同派布教師。1957年静岡県沼津市生まれ。二松学舎大学大学院修士課程修了。龍澤寺僧堂に入門、中川宋淵老師・鈴木宗忠老師(ともに故人)に師事。「やさしく」「わかりやすく」「楽しく」をテーマに仏教全般、禅宗関係について執筆活動を行う。著書に『禅から学ぶこころの引き算』(同文舘出版)、『ほんとうは大事な「お葬式」』(大法輪閣)、『超訳こころの禅語』(佼成出版社)、執筆監修書に『仏像と仏教』『よくわかる日本の仏教』『日本の仏教と十三宗派』『親鸞と歎異抄』(ともに宝島社)など多数。

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