【連載】遊のこころ~日々を遊戯三昧に生きる~|(2)日日是れ好日
今の中国がまだ唐と呼ばれていた時代に、雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864-949)という和尚がいた。この和尚の下(もと)から優れた弟子がたくさん出たので、後に雲門宗という宗派の開祖になった人でもある。
この和尚のことを知る者は少ないと思う。しかし彼の説いた「日日(にちにち)是(こ)れ好日(こうじつ)」という言葉の方は、茶道を習う者にはなじみの語だろう。茶室の床の間にこの語をかけることがあって、茶道の弟子なら、現代人でも見てきた言葉なのである。
あるとき、雲門禅師が弟子たちに質問した。「昨日までのことは、もう過ぎ去ったことだから聞かぬ。さて今日より以後の人生では、君たちにとって何が一番大事なことだろうか。そのことを一言で答えてみたまえ」と。
今から三十年ほども以前のことだが、日本中の会社員が坐禅道場で修行させられていたことがある。アメリカからの逆輸入の形で「禅ブーム」になっていて、会社員が坐禅で身心を調えれば、会社の業績も伸びるように思われた。当時、私も禅道場で坐禅指導を手伝っていた。そんな一日、社員たちに「あなた方の今までの人生で、もっとも楽しかったことは何でしょうか。それを書いてみてください」と、一枚の紙を与えたことがある。社員たちは三十分ほどもかかって書き上げた。それを名前は記さないまま提出させて、みんなの前で読み上げたが、会社での仕事の楽しさを書いた者は一人もいない。三十人余の参加者はそれぞれ、家族で旅行したことや、学友と運動部で活躍したことなどを書いた。中には「今の家内と結婚したこと」と書いた者があって、読み上げると、何人かが同感してうなずいた。紙の裏側には一番辛かったことを書いてもらった。結婚したことが楽しかったことの一番にあげた者は、そこに「その家内と、まだ続いていること」と書いていて、読み上げると大笑いになった。これまた何人か同感する者があったようだ。
しかし私が考えさせられたのは、今までの人生で何が一番楽しかったかを、彼らがなかなか思い出せないことだった。雲門禅師の弟子たちも平成時代の会社員と同じだったようで、だれもすぐに答えられる者がいない。みな黙っていると、禅師が自ら代わって答えた。「日日是れ好日なり。(一日一日が善き日だったと悟ってゆくことだ)」と。
これはどういう意味だったろうか。昨日はもう過ぎ去って無い。明日はまだ来ていない。確かに存在していると言えるのは、今日(こんにち)ただ今、即今の瞬間だけである。過ぎ去った過去は、どんなに願っても二度と戻って来ない。まだ来ていない未来は、どんなに想像しても定かに知り得ない。第一我々は今日(きょう)を無事に終われるのか、明日を無難に迎えられるのか、ほんとうのところはだれも知らない。
四十代の知人は、毎朝、娘と散歩に出かけていた。そんなある日、知人は散歩の途中で急に倒れた。近くの店に運び込まれ、介抱されていたが、そのうちに意識が戻ったので、娘が「店の方に助けてもらった」と伝えると、彼は立ち上がって「それは大変お世話になりました」と頭を下げてお辞儀をしたが、そのまま倒れて死んでしまった。会社の同僚たちが集まって、みな「嘘だろう!早く起きろよ」と泣きながら叫んでいたことが、忘れられない。
七十過ぎまで生きると、友人知人の亡くなったときの話をいくつも聞くことになる。だから、高齢の老人になったから死ぬのではないことも、つとに教えられてきた。確かなことは、「今日はまだ生きている」という事実である。昔、ある禅僧が「一大事とは今日ただ今のことなり」と言った。今ここに在ることだけが我々一番の大事だと。まことにその通りで、雲門禅師が「日日是れ好日」言ったのも、この一大事のことだった。
雲門禅師は「一日一日を善き日だと思って、大事にしてゆけ」と言ったのであろうか。茶人が床の間にこの言葉を掛けるのも、多くはそう解釈してのことだろう。しかし禅師の真意はまた別にあった。この「好日」は、「悪日」の反対を意味する言葉ではない。善き日にも悪しき日にも、少しも変わりなく働いている自在な日々のことを言った。それはちょうど空(そら)のようなものである。地上の天気は暑かったり寒かったり、雨になったり雪になったりする。時には暴風雨が吹き荒れて大災害を起こすこともある。だが空自体がそのことで変わることはない。つねに無限の創造性をもって自在に大宇宙を在らしめている。それと同じように、我々の心にも、無限の創造性が自在に働いてきた。この事実に気づいてゆく他に、人生を好日に為す道はないと言ったのである。
明治天皇の御製(ぎょせい)にも、
朝みどり澄みわたりたる大空の広きおのが心ともがな
とある。初夏の朝、緑あふれる木々の上に広がる大空を眺めていると、我が心もこのように広大なものだったと知らされるとの歌である。「日日是れ好日」も、ほんとうはだれもが、日々に空の広大な心で生きていることを言った。
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形山 睡峰(かたやま すいほう)
昭和24年、岡山県生まれ。昭和48年、京都・花園大学を中退して、東京・中野の高歩院、大森曹玄老師の下で参禅を始める。その後、出家得度して臨済宗の末僧となる。昭和63年、茨城県出島村(現かすみがうら市)岩坪に菩提禅堂が建立され、堂長に就任。平成19年、かすみがうら市宍倉に「無相庵・菩提禅堂」を開創。庵主として現在に至る。主著に『禅に問う 一人でも悠々と生きる道』(大法輪閣)、『心が動く一日一話 人生コラム』『禅と哲学のあいだ 平等は差別をもって現れる』(佼成出版社)、『非ずのこころ』『和するこころ』(エイチエス)がある。
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