遊のこころ~日々を遊戯三昧に生きる~|(4)チリを払い、チリを払う
子供のころ、年寄りから「茗荷(みょうが)を食べすぎると物忘れがひどくなる」と言われたことがある。茗荷を刻んで鰹節をまぶし、醬油をかけたものを温かい白飯の上にのせて食べると、美味しくて食がすすむ。つい食べ過ぎることになるのでそう注意されたのかと思う。現代のようにおかずがたくさんある時代ではない。戦後間もなくは、子供たちの多くがまだ貧しく生きていた時代の話である。
実はこの言葉、釈尊の弟子の一人、シュリハンドクの逸話から作られたものである。
シュリハンドクは釈尊の弟子の中でも、もっとも物覚えの悪いことで知られていた。釈尊が説かれるどんなに短い言葉も、まったく暗記することができないので、彼はほとほと困り果てていた。もう弟子になることはあきらめて、故郷に帰ろうかとも思って、悩み苦しんでいた。
インドで釈尊が活躍されたころ(今から二千五百年ほど前)は、まだ紙もなく、教わった言葉は覚えるほかになかった。弟子たちは釈尊の言葉を一言一句も聞き逃さぬように聞き、それを弟子同士で確認しあっては、教えられた言葉に間違いがないように記憶していった。それが今日に遺っている仏典の始まりである。
学ぶことは何よりも暗記力が頼りだったから、一言も覚えられないシュリハンドクがどんなに自分に絶望したかは想像できるだろう。
ところがある日、釈尊が彼を呼んで言われた。
「シュリハンドクよ、愚かなのに自分の愚かさに気づかぬ者が、ほんとうの愚か者なのだ。お前は自分の愚かさをよく知っている。そういう者こそ真(まこと)の賢者なのだよ」
そう言って、一本の箒(ほうき)を与えると、
「この箒で精舎(しょうじゃ)(仏道修行者の集う道場)のあらゆる場所を掃除してゆきなさい。そのときつねに『チリを払い、チリを払う』と称えながら勤めなさい」と教えた。
シュリハンドクは喜んで、それからは「チリを払い、チリを払う。チリを払い、チリを払う」とくり返し称えながら、精舎中を掃除してまわった。無論、こんな短い言葉ですらなかなか覚えられなくて、仲間の弟子たちに何度も聞き返しながらやっと暗記することができたのである。
シュリハンドクはまことに「魯の如く愚の如く(無知で愚か者のごとく)」に勤め務めて、終日ただ掃き続けていった。そしていつか『チリを払い、チリを払う』が掃いているのか、自分が掃いているのか分からないほど一つになり切っていた。題目や念仏を称える者も、真実称名になり切っているときは、みな同じこころになっている。称える我もなければ、称えられる言葉もない。ただ称名が称名を生み出してゆくようである。それで急に、シュリハンドクは我がこころのどこにも、毛ほどもチリが無いことに気づかされたのである。
彼は思わず手を止めて、目覚めたような気持ちになった。
釈尊が六年の修行の後に悟られて、「なんと不思議なことだろう。一切衆生(すべての生きとし生けるもの)にみな仏性(真実の性質)が具えられているとは」と叫ばれたという。シュリハンドクも同じ思いだった。
「自分の頭が悪いから、物覚えが悪いから、いつも迷ったり悩んだりしているのだ」と思っていた。その誤った思いこみがこころを迷わせていたのだ。こころ自体は始めから真実に由って働いているものだった。晴れた大空のように澄みわたり、チリほどの嘘(うそ)偽(いつわ)りもない。人はだれも、こころの嘘も行為の偽りもないまま、清らかな真心だけを本性として生まれてきた者だった。実はこの本性が具わってきたお陰で、みな今日まで無事に生きてこられたのである。
もしこの事実に疑いがあるなら、まずは親に聞いてみるがよい。我が子が生まれたとき、こころが真実でない赤ん坊がいたかどうかを。どんな親も、「赤ん坊のこころに嘘偽りはなかった」というだろう。シュリハンドクも赤ん坊のときから今日まで、欠けることなく真実のこころが働いてきたことに気づかされた。
暑いときは「暑い」と感じる。寒いときは「寒い」と感じる。そのときのこころに嘘偽りはない。こころの真実がそう感じさせている。それを「暑いから涼しくしよう」「寒いから、もっと暖かくしよう」と思うのは、こころが働いた後の、分別計らいの念が起こさせたものである。実は人生に迷ったり悩んだり苦しんだりするのも、この後に生じた分別計らいの念の方を、かえって自分のほんとうのこころのように錯覚したことに因(よ)る。無論、分別計らいの念は、自分一人の勝手な思いこみで正当化させた念である。だから仏教ではこれを、邪念と呼んだ。
「自分のことを分かってくれない」などと言って嘆いたり恨んだりする者がいる。相手もまた、自分とは別の邪念をもって分かってもらおうと願っている。お互いの邪念で相手に対してゆこうとするなら、分かってもらえないのは当然だろう。
シュリハンドクは、今この事がよく分かった。頭が悪いから悩み苦しむのではなかった。本性にはだれも真実のこころが具わっている。そのことに気づかないことだけが、悩み苦しむことの原因だった。釈尊の導きのお陰で救われたシュリハンドクは、その後、釈尊の十六羅漢(らかん)(悟りを得た僧)の一人として活躍し、人々に尊ばれた。彼の没後、その墓地のまわりに茗荷に似た草が生えたという。
迷ったとき「チリを払い、チリを払う」と称えながら行動していると、不思議にこころが清々(すがすが)しくなってくる。日々が生まれながらの「遊のこころ(自由自在なこころ)」に目覚めてゆくからである。
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形山 睡峰(かたやま すいほう)
昭和24年、岡山県生まれ。昭和48年、京都・花園大学を中退して、東京・中野の高歩院、大森曹玄老師の下で参禅を始める。その後、出家得度して臨済宗の末僧となる。昭和63年、茨城県出島村(現かすみがうら市)岩坪に菩提禅堂が建立され、堂長に就任。平成19年、かすみがうら市宍倉に「無相庵・菩提禅堂」を開創。庵主として現在に至る。主著に『禅に問う 一人でも悠々と生きる道』(大法輪閣)、『心が動く一日一話 人生コラム』『禅と哲学のあいだ 平等は差別をもって現れる』(佼成出版社)、『非ずのこころ』『和するこころ』(エイチエス)がある。
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