遊のこころ~日々を遊戯三昧に生きる~|(5)一つ命を共にしてきた

 

東京は銀座の雑踏の中を歩いていた人が、「オッ」と言って足を止めた。こんな大都会の真ん中で蟋蟀(こおろぎ)の鳴き声に気づいたからだ。車の騒音にも人々の足音にも負けずに、ビルの片隅のどこかで懸命に鳴いている。「銀座の街中にも蟋蟀が住むのか」と思いながら、周りを見渡すと、どうも鳴き声に気がついたのは彼一人らしい。

「こんな人ごみの中でも懸命に鳴いている虫がいることに、都会の者はだれも気づかないんだな」と言うと、一緒に歩いていた友人が言った。

「蟋蟀の声には気づかなくとも、銀座の人はもっと小さな音には立ち止まるはずだよ」

「エッ?」

友人は財布から五円玉を取り出すと、空に投げ上げた。「チャリン!」―― 舗道に小さな音が鳴ったとたん、何人かが立ち止まって目をキョロキョロさせた。自分のお金が落ちたのかと疑ったのである。

日々を経済活動の中に浸(ひた)りきって過ごしてきた人たちは、小さな金属音にも、ついお金の音かと聞いてしまう。だから反対に自然の音に囲まれると、うるさい雑音と聞いてしまう人が出てくる。山中でキャンプをした者が、「山川の音がうるさくて眠れないから、音を止めてくれ」と、管理人に文句を言った。「我が家は、朝早くからホトトギスの鳴き声がうるさくて、寝不足になった」と、つくば市の婦人から愚痴を聞かされたことがある。

人間も元来、大自然から生まれ出た生物の一類である。かっては「万物の中の霊長類(あらゆる生物の中でもっとも優れた類)」といって誇ってきたものだが、現代人の一類は小さな自然の声にも、眠りを妨げられている。

我が庵では、秋になると庭の至るところで虫が鳴きだす。早朝の暗闇で坐禅していると、特に蟋蟀の声が高らかに響く。禅定が深まるにつれ鳴き音は耳を圧し、キティキティキティと、まるで空間を打ち刻むような大音になってくる。草茫々の庭だから、何種類もの虫たちが集ってきて、夜通し大合奏会を催すのである。

雑草もなくては、虫も鳴かぬ

最初、寺を守ることは雑草との戦いだと思っていた。とにかく五月に入るとアッという間に寺域一面、雑草だらけになる。毎日夢中になって取り除いてゆくが、ひと渡り取り終わるころには、また始めの場所に生え出している。特にスギナには閉口で、抜くたびに数日のうちに再び伸びてくる。スギナの根は途中で切れやすく、根ごと抜け切ることがないのである。村の人が教えてくれた。「どんなに抜いてもダメだよ、スギナの根は地獄まで続いていると言うからね」と。

良寛(りょうかん)さん(1758~1831)は江戸時代後期に越後出雲崎(現・新潟県出雲崎町)に生まれた禅僧である。ある時、藩主が彼と話したいと思い、使者を迎えに出した。住んでいる五合庵(ごごうあん)に行ってみると、良寛は留守で、庵は草茫々の中にある。使者は草取りをしながら待つことにした。やがて良寛が帰って来ると、庭はすっかりきれいになって、一草も残されていない。良寛は思わず嘆息して言った。

「やれやれ、草が無くなっては、もう虫が来て鳴いてくれまいて」と。

われわれ人間は自分たちの都合で雑草をできるだけ除こうとする。きれいに雑草を抜き去った後の庭は、我が心の汚れまで掃除されたように感じて、清々しくなっている。だから草茫々の庭を見ると、我が心の汚れを見るようで、気が重くなる。しかし草も除かれるために生えているわけではない。それをきれいに抜き去らねば済まぬように思うのは、人間の勝手である。私も良寛の話を聞いてからは、庭が草茫々でもあまり気にならなくなった。

そういえば、かって皇居の奉仕活動をした人が話していた。庭を掃除していると、昭和天皇が見に来られた。一人が立ち上がって「雑草はみなきれいに抜きました」と報告すると、陛下は「雑草という名の草はないのだが……」と言われたという。天皇の業務の他は植物研究に生涯を尽くされた昭和天皇は、大半の草花の名前を知っておられ、抜かれて捨て去られてよいような命は一草もないと思っておられたのである。

自然信仰の宗教心

人に名前を聞くと、たいていの人が自然の風物から採られた苗字である。山田さんも鈴木さんも斉藤さんも清水さんも前川さんも、みな自然の中から採られている。他にも、「天」「地」「土」「花」「草」「丘」「谷」「沢」など、無数にある。中には昔の職業や地位から採られた名前もあるが、多くは自然にある物から付けられている。この事実は、古来の日本人が自分たちのことを、つねに自然と一体になった存在として自覚してきたことの証(あかし)である。欧米人にはキリスト教の聖書にかかわる名前が多い。日本人は大自然がそのまま自己存在の根拠のように感じてきたのである。だから宗教心も、自然信仰のようなところがある。「宗教は何か」と問われて「無宗教」と答える人が多いのも、この故である。元来、存在の外に別に神や仏を想定して、その者だけを信仰するというような習慣がなかったのである。

闇の中で一人虫の声を聞いていると、我という意識も消えて、虫の命と我が命と自ずから溶け合ってしまう。どんな命も別々の命ではない、みな一つ命を互いに共有しあって生きてきたのだと気づかされる。それは実にほかほかとした、深くてあたたかな命だった。

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形山 睡峰(かたやま すいほう)
昭和24年、岡山県生まれ。昭和48年、京都・花園大学を中退して、東京・中野の高歩院、大森曹玄老師の下で参禅を始める。その後、出家得度して臨済宗の末僧となる。昭和63年、茨城県出島村(現かすみがうら市)岩坪に菩提禅堂が建立され、堂長に就任。平成19年、かすみがうら市宍倉に「無相庵・菩提禅堂」を開創。庵主として現在に至る。主著に『禅に問う 一人でも悠々と生きる道』(大法輪閣)、『心が動く一日一話 人生コラム』『禅と哲学のあいだ 平等は差別をもって現れる』(佼成出版社)、『非ずのこころ』『和するこころ』(エイチエス)がある。

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