人は人を裁けるか
人は人を裁けるか
凶悪犯罪等で犠牲になった被害者の悲しみを思うとき、加害者に対し「場合によっては死刑もやむを得ない」という感情を抱くことがあります。2009年に裁判員制度が始まり、宗教者といえども「死刑の評決」にかかわらざるを得ない状況になりました。本書では法学者である著者が、法華経を信仰する一人の仏教徒として死刑制度の問題と向き合い、人が人に罪を問い罰を科すことの意味を問いかけます。
眞田 芳憲
1937年、新潟県生まれ。中央大学法学部卒業。同大学院法学研究科博士課程修了。中央大学法学部教授、法学部長を経て現在、中央大学名誉教授。中華人民共和国政法大学比較法研究所客員教授。専攻はローマ法、比較法学、イスラーム法、法倫理学。日本比較法研究所所長、法文化学会理事長等を歴任するとともに、立正佼成会評議員、庭野平和財団理事、世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会評議員ならびに同平和研究所所長等を務める。主な著書に『法学入門』『イスラーム法の精神』(共に中央大学出版部)、『日本人のためのイスラーム入門(佼成出版社)等数多くあるほか、編者に『生と死の法文化』(国際書院)、共著に『叡知――テロを超える宗教の力』(共に佼成出版社)等がある。
【目次】
はじめに
──法華経の信仰に生きる一法学徒の覚書──
第一章 罪と罰と裁き
お釈迦さまとカンダタ
閻魔王の裁判
裁きということ
第二章 現代のカンダタの棲む刑務所
死刑判決と死刑の確定
死刑確定後の死刑囚の生活
第三章 死刑囚の心の内にあるもの
あさま山荘銃撃事件」等の死刑囚・坂口弘
「別府銀行員強盗殺人事件」死刑囚・二宮邦彦
「小千谷強盗殺人事件」死刑囚・中村覚(後に千葉姓)
第四章 仏伝に見る凶悪犯罪者の罪と罰
アングリマーラ
アングリマーラ伝の教えるもの
デーヴァダッタ(提婆達多)
提婆達多伝の教えるもの
第五章 仏教の戒律に見る罪と罰
仏教の戒と律
戒律の構造と原理
小乗戒から大乗戒へ
日本仏教と「無戒の戒」
第六章 赦しと和解
了海の懺悔と贖罪
争いは欲の患にして
争う人と人の間の加害者と被害者
司法の新しいうねりと修復的司法
修復的司法と応報から共生への道
第七章 共生時代に生きる仏教と死刑
慈悲と共生
「一人の生命は、全地球よりも重い」
仏性の自覚と人間性の回復
不共業と共業の中で
犯罪被害者の救われと癒やし
死刑囚の仏性開顕の道を奪うもの
懺悔こそ赦しと癒やしの道
「仏種は縁に従って起こる」
第八章 死刑が廃されても、犯罪なき世の中が
死刑存置論と死刑廃止論
島秋人の「最後の祈り」が問いかけているもの
島秋人の「最後の祈り」が「あらゆる暴力をのり超え、共にすべてのいのちを守るために」となるために
参考文献
著者プロフィール
奥付
アーユスの森新書」の刊行にあたって
ISBN:9784333024490
出版社:佼成出版社
発売日:42013/10/281575