ちえうみ
「問い」から始まる仏教 「私」を探る自己との対話
「問い」から始まる仏教 「私」を探る自己との対話
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答えのない問い、終わりのない対話ーー。仏教を知らない一般人が禅宗の僧侶に質問する、という対話形式で展開。仏教の新たな地平を、気鋭の著者が切り拓く。
南 直哉
(みなみ・じきさい)1958年、長野県生まれ。早稲田大学文学部卒業。1984年、曹洞宗で出家得度。同年、福井県にある大本山永平寺へ入門、2003年まで修行生活を送る。現在、福井市・霊泉寺住職をつとめるかたわら、東京都港区・青松寺内にある獅子吼林サンガにおいて、若手僧侶の指導にあたる。著書に『語る禅僧』(朝日新聞社)、『日常生活の中の禅』(講談社選書メチエ)がある。(※略歴は刊行時のものです)
【目次】
はじめに
〈序章〉宗教は必要か?
「宗教問題」の時代
宗教の権威化がはらむ問題点
宗教が本来扱うべきテーマとは?
価値観崩壊が招く「自己存在への不安」
回帰してくる「根源的な問い」
〈第一章〉自己への問い――「私」の根拠はどこにあるのか?」――
「本当の自分」は不可知
「信じる」限りにおいて存在する神・霊魂
「神」的理念としての「アートマン」
「理念」と「現実」との関係パターン
神も理念も設定しない仏教
「わからなさ」という苦の直視
「根源的な問い」を棚上げにし、「どう生きるか」を問う
「神」なき時代の「自己への問い」とは?
理性を根拠とする「自由」の「欲望」化
「我所有する、ゆえに我あり」
〈第二章〉「苦」が生み出される仕組み――ブッダ、道元の考察――
仏教の聖典について
部派仏教と大乗仏教
「根源的な問い」を意識した大乗経典
道元禅師の「根源的な問い」への取り組み方
ブッダの説いた「苦」の特徴
「病・老い・死」という苦
「思い」が苦を作る
「思い」が生み出す「欲望」
「自己の存在根拠」と「所有」
「自己の存在根拠」と「性欲」
「自己の存在根拠」は「他人」にある
〈第三章〉「縁起」している「私」
「私は誰?」という問題
「自己の存在根拠」のわかりがたさ=「非己」
「非己」との直面から始まる自己形成
マニュアルによる「非己」対処法の限界
「非己」に直面して自覚される「自己」
「苦」の実感から生まれる「自己肯定」
「無常」「無我」と「無明」
「縁起」という存在の仕方
我々は行為によって「存在する」
行為によって「自己」が形成される
直面する「非己」への対処法
自己を作る「因果」
〈第四章〉自己を再建する――自己の土台を築くための坐禅――
「非己」を受容して「自分」を作り直す
言語が生み出す「無明」という錯覚
自意識を解体する坐禅
坐禅の方法
「非思量」の坐禅――考えることから感じることへ
「錯覚」解除から始まる自己の再建
自己再建の鍵を握る「敬意」
敬意の言葉としての「五観の偈」
〈第五章〉自己再建を支えてくれる「因果の教え」
人間の行為についてのみ言及する仏教の「因果」
人間に共通の思考方法である「因果」
仏教の「因果」は、仏教徒にとってのみ正しい
修行者の自己再建を支える「因果」
修行者の意志と願いの中に存在する「前世」「来世」
善悪の基準は「釈尊の教えにかなうか否か」
戒律の意味――殺人・盗み・虚言・邪淫
日本仏教と戒律
自己責任の時代における宗教の出番
〈第六章〉教えとしての「自己への問い」――仏教は自己を問う者に示す道を持つ――
仏教は教え自体が「問い」でもある
「根源的な問い」を忘れてしまった僧侶たち
他者救済の必須条件としての「対話力」
対話のできる師を探す
自己を見つめる手段としての「四諦」の教え
教えを生かす「修行」実践法
「出家」という選択を想定して生き方を考える
ISBN:9784333020485
出版社:佼成出版社
発売日:2004/1/30
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